華やかな夜会会場の片隅で、アリスは誰にも気づかれないように溜息を吐いた。
今の時間帯はブラッドの仕事の関係で、アリスも夜会に参加していた。 初めのうちはブラッドと共に同じ夜会の招待客と歓談していたが、仕事の話が入ったらしいブラッドは、今は席を外している。 アリスはブラッドが席を外すと会場の隅にあるソファに身を沈めた。 ブラッドと結婚してから、アリスが夜会に出席することも増えた。それでも、夜会が苦手なことには変わらない。 「何かお飲みになりますか〜?」 護衛としてアリスの傍に残ったメイドがアリスに声を掛ける。 「そうね・・・アルコールじゃないものをお願いできるかしら?」 メイドは頷くと他の護衛に声を掛けてからアリスの傍を離れる。 再度溜息を吐いたアリスは、視界の隅に豪奢なドレスが見えて立ち上がる。そして振り返った先には、数人の女性達。 最新のデザインだろうドレスに身を飾った女性達はアリスに向かって会釈した。 護衛達がじりっとアリスを守るように立ち位置を変えようとする。だがアリスはそれに構わず前に出ると、女性達に向かってにっこりと微笑んだ。 「お会い出来て光栄ですわ」 「是非、お話しをしたいと思っておりましたの」 女性達は口々にそう言ってアリスに近づいた。 女性達の顔ははっきりとは見えない。だが、漂う悪意に気づかないほどアリスは鈍感ではない。 ここで退いたら負け――――。 アリスは直感的にそれが判っていた。 ブラッドと夜会に参加して、女性達に絡まれなかったことは一度もない。そして、アリスが負けたことも一度もない。 (伊達にマフィアのボスの妻なんてやってないのよ) アリスは女性達とにこやかに話しながらそう自分に言い聞かせた。 「羨ましい限りですわ。あのブラッド様とご結婚なされるなんて・・・」 「本当に・・・。奥様は幸せですわね」 最初は差し障りのない会話から始まるが、言葉の奥には刺が潜んでいる。アリスはそれに気づきながらも平然と微笑んでいた。 「ブラッド様のお好みはなかなか判りませんでしたけど、奥様のような方がお好みでしたのね」 一人の女性がにこやかに言うと、他の女性達もくすくすと笑った。 「そうみたいです。本当に、変わり者の主人ですので」 アリスもにこやかに言った。僅かに女性達の口元が引き攣る。 「あら、奥様の方が大分変わっておられると思いますわ」 ブラッドを変わり者と言われて気を悪くしたのか、女性達の一人が冷めた声で言った。 「一体、奥様のどんなところが良かったのかしら?余所者だというだけで、なんの取り柄もなさそうですのに」 アリスの後ろで護衛達が銃に手を伸ばす。それを察したアリスは振り返ると、にこりと笑う。 「大人しくして」 ドスの効いた声で言うと、思わず護衛達は銃から手を離した。 「そのことは常々私も聞きたいと思っていたんです。如何です?これから私を選んだ張本人に一緒に聞きに行きませんか?まあ、皆様の命の保証は致しませんけど」 これ以上ないというほどの笑顔でアリスが言えば、女性達は言葉に詰まって互いの顔を見合わせる。 「おやおや。どうにもここだけ雰囲気が険悪なようだが・・・。どうかしたのかな?」 女性達の後ろから怠そうな、それでいてどこか愉しそうな声が聞こえてくる。 「あら、おかえりなさい。仕事の話はもう済んだのかしら?」 アリスは女性達の横を通り抜け、随分とタイミング良く現れた夫に近づいた。 「ブラッド様・・・」 女性達がじりっと後退る。 「貴方がいない間、私を気遣って一緒にいてくださったのよ。険悪なはず・・・ないでしょう?」 アリスはそう言って夫であるブラッドの腕を引いた。アリスの意図を悟ったブラッドは、くすりと笑う。そしてちゅっとアリスの頬にキスを落とした。 「それもそうだな・・・。ああ、疲れた顔をしているな。少し早いが帰るとするか」 女性達への挨拶もそこそこに、二人は護衛を引き連れて会場を後にする。 「・・・最低」 会場を出てしばらくしてから、アリスは小声で呟いた。 「おや、随分ご機嫌斜めじゃないか」 ブラッドがからかうように言えば、アリスは彼を睨みつけた。しかしすぐに視線を逸らしてしまう。 「アリス?」 いつもなら、なんでもっと早く戻ってこないんだとブラッドを詰るアリスが何も言わないことにブラッドは首を傾げる。 その後も、アリスはブラッドがどんなに声を掛けても答えることはなかった。 それからというもの、アリスは塞ぎ込んで部屋に籠りがちになった。 ブラッドの呼び出しに応じないことすらある。 今もアリスはベッドの中で丸くなり、ドアの外から聞こえるブラッドの声を無視していた。 「アリス、いるんだろう?」 どこか困惑したようなその声に応えてしまいたくなるのを必死で堪える。 ブラッドなら、例えドアに鍵が掛かっていようと関係ない。だが、アリスの意思を尊重してか、今までブラッドがアリスの合意なしにドアを開けることはなかった。 だが、さすがのブラッドも今回は限界だったのだろう。唐突にドアが開く音がして、ブラッドが部屋の中に入ってきた。 アリスが驚いてベッドから起き上がる。 「な・・・っ、なんで入ってくるのよ!?」 アリスが言えば、ブラッドは溜息を吐いた。 「君が心配だからに決まっているだろう?・・・この前の夜会の一件、聞いたよ」 アリスの身体が僅かに震える。 ブラッドはゆっくりとベッドに近づくと、ベッドの端に腰を下ろす。そして帽子をサイドテーブルの上に置くとアリスを見つめた。 「・・・・・・」 なんとなく居心地が悪くなってアリスは俯いた。 「・・・ブラッドが・・・悪いのよ・・・」 しばらくして、アリスがぽつんと呟いた。ブラッドがそっとアリスを抱き寄せる。 微かに香る薔薇の香りに包まれて、アリスの視界が徐々に霞んでいく。 「ブラッドが・・・私なんかと結婚するからいけないのよ・・・」 ブラッドの胸元をぎゅっと掴みながら、アリスは呟き続ける。 「余所者ってだけでなんの取り柄もなくて、綺麗でもない女なんかと結婚するから・・・。私なんかよりずっとずっと綺麗な人と結婚すればよかったのよ・・・。そうしたら・・・誰も何も言わなかったのに・・・」 「・・・」 ブラッドは何も言わず、ただ、アリスの頭を撫でている。 「どうして・・・私なんかを選んだのよ・・・」 「君以外の女など、どうでもいい。結婚したいとも思わない」 ようやくブラッドが口を開く。 「私は、君が欲しかった」 優しい声でそう告げて、ブラッドはそっとアリスの額にキスを落とした。 「君が欲しくて欲しくて仕方がなかったんだ。どんな手を使ってでも傍に置いておきたかった」 アリスの目から涙が零れる。それを舌先で掬ったブラッドは、ゆっくりとアリスを押し倒した。 不安そうに揺れる瞳がブラッドを見上げる。 「君が逃げようとしていたら、私は君を閉じ込めていただろうな。・・・それほどに、君が欲しかった」 「・・・悪趣味よ・・・」 アリスが言えば、ブラッドは笑った。 「帽子屋だから・・・かな?」 アリスがぎゅっとブラッドに抱きつく。 「馬鹿よ・・・救いようのないほどの馬鹿よ!もっといい人がいるのに・・・私なんかを選ぶなんて大馬鹿よ。きっと後悔するんだから・・・!」 「私を退屈させないような女が、他にいるとは思えないな・・・」 ブラッドはそう言ってアリスを抱き締める。 「私は、君といる今が大切だよ」 更に悪態を吐こうとしていたアリスは呆然とブラッドを見つめた。 「誰がなんと言おうと、私は君を愛してる。それだけでは不満か?」 蕩けそうなほどに甘い声で囁かれて、アリスの顔が赤く染まる。ブラッドはそんなアリスの唇に触れるだけのキスを何度も落とす。 「不満に・・・決まってるじゃないのよ!あんたなんか大嫌いなんだから!!」 恥ずかしくてどうにかなってしまいそうで、アリスは横を向くとそんなことを言った。自分でも可愛げがないことは承知している。 それなのに、ブラッドに堪えた様子はない。むしろ楽しそうにくすくす笑っている。 「君は素直じゃないからな。本当は大好き・・・だろう?」 「ちっ、違うわよ!!嫌いは嫌いな・・・んっ」 思わずブラッドの方に向き直ったアリスの唇を優しく塞ぐ。 触れるだけのそれが徐々に深くなり、アリスの身体から力が抜けていく。 「・・・なあ、アリス」 唇を離したブラッドが囁く。 「私以外の誰の声も聞こえないように・・・閉じ込めてあげようか?」 深い碧の瞳に見下ろされたアリスの身体が小さく震える。 「君が望むなら、そうしてあげても構わないよ?」 ブラッドがアリスの首筋に顔を埋める。 「・・・っ、もう・・・閉じ込めてるくせに・・・」 アリスが言えば、ブラッドは小さく笑った。 「そうだな・・・。今こうして・・・私の腕の中に閉じ込めている。だから・・・」 白い肌に幾つもの赤い痕を散らしながら、ブラッドはアリスの指に自分の指を絡める。 「私だけを見て、私の声だけを聞いていなさい」 ブラッドの甘い囁きに、アリスはそっと目を閉じて応えた。 NOVELに戻る |