すべては掌の上のできごと





捕まるのならあなたがいい





「もう嫌だー」



バサッと書類が舞う音に、ナイトメアの悲痛な叫びが混じる。
机に突っ伏してしまった情けない主に、アリスは冷たい視線を投げかけた。また?、と呆れを全面に心に出してみたが、それはものの見事に無視される。

「はいはい、この書類がきれいさっぱりなくなったら休憩にしますので頑張ってください、ナイトメア様」

もう一人の補佐官であるグレイは、ひとかけらも顔色も変えずドサッと新たな書類の山を運んでくる。今さっきナイトメアがばらまいた書類を拾い集め、それもドンと置く。
その様子に、さすがグレイだわ、とアリスは思った。ナイトメアがダダをこねても気にせず仕事を続けられるなんて。
少し離れた机で書類仕事をしているアリスには、ナイトメアの髪も書類に埋もれて見えなくなってしまっている。

「なにがさすが〜だアリス。こいつは、鬼か悪魔だ。上司がこんなに苦しんでいるというのに。顔色も心も何一つ揺らがないなんてなんて薄情な部下なんだ」
「聞こえてたんじゃないの」
(このダメ上司)

書類の山の向こうからブツブツブツブツと声が聞こえてくる。心の声は聞こえないふりはできても、物理的なものまではさすがに無視しきれなかったらしい。

「こんなに冷たい反応ばかりされてやろうという気持ちがわくわけがないじゃないか」

つらつらしょうもない文句を言い出したナイトメアだったが「甘やかしたところで仕事したことあるか?」というグレイを除くその場全員の声が聞こえてきて、ふいに顔をバッとあげた。
………誰にも見えていないが。

「あ、あぁぁぁぁ、そうだ。そうだった。新しいイベントを考えていたのを忘れるところだった」

目の前に広がる白い山に一瞬顔を引き攣らせながらも、その場の呆れかえった空気を追い払うように大きな声で語りだす。だが背筋を伸ばしても書類の山から顔を出すことができなかったようで、大きな声で話しながら椅子から立ち上がった。
会合でもそれぐらいできれば、自分もグレイも困らなかったのに。その様子をみてアリスはそう思えずにいられずため息をついた。

「この前の雪まつりからだいぶたっただろう?そろそろまた新しいイベントを開催しなければと、えら〜〜〜い領主である私は考えたのだ」
「ナイトメア様、とりあえず仕事を……」
「うるさい。ほら、こんな鬼みたいなのがいるからこそのイベントなんだ」

左手を腰に当て、右手をびしっとグレイを指さした。

「話を聞くまで私はストライキをするぞ」

仕事をしろといいかけたグレイの声を打ち消すように宣言をする。
ナイトメアはもう駄々っ子モードに完全に入ってしまっていた。てこでも動かないという決意を垣間見たグレイは、大きなため息をついた後アリスにコーヒーを作るようにお願いし、一時的な休憩を入れることを許可した。


☆☆☆


「節分をやるぞ、節分」

話を聞いてもらえることになってよほどうれしいのか、それとも仕事から解放されて喜んでいるのか、どちらかといえば後者のほうが強そうだが、ともかくいつもより偉そうな態度でナイトメアは話だす。アリスが入れたコーヒーをゆっくりと飲み干し、図々しくもおかわりをお願いした後であった。

「「セツブン……??」」

ナイトメアと向かい合う形で座っていたグレイと、新しいコーヒーを入れて持ってきたアリスと疑問の声がかぶった。

「あぁ、そうだ。」
「セツブン………ですか?俺は聞いたこともない言葉なのですが…」

ちらりと意見を求めるように、机にコーヒーを置き横に座ったアリスを見る。同じように軽く眉にしわを寄せてグレイに視線を送っていたアリスは、目が合うと首を左右に軽く振った。
言葉からもどんなことをするのか、イメージすらつかない。

(まさか自分で勝手に作り出したイベントとかじゃないでしょうね?)

ナイトメアに視線を移し、アリスは心の声でナイトメアに話しかける。自分とグレイの二人とも知らないイベントだなんて怪しすぎる。
そんな疑いの声を聞きつけたナイトメアは、むっとした顔をした。

「な、君は私が仕事をさぼるために勝手にイベントを作り出したというのか!?私はそこまで子供じゃないぞ」

(さっきまでの態度をみていれば、疑われていても仕方ないでしょう?疑われたくなければ、普段からまじめに仕事をすることね)

「な、なんて冷たいんだ君は……。ただでさえこの塔は凍えるように寒いのだから、せめて言葉ぐらいは温かく……」

(そう思うなら優しい声をくれる人だけを部下にしたらいいのよ)

「そういう意味ではなくてだな……」

機嫌の悪くなったアリスを慌ててフォローしようとしたナイトメアだったが、ふいに前からただよってくる冷気に身体を震わせた。
アリスから視線を横にずらすと、表面はにっこりとしたグレイがナイトメアを見ている。ただ口角は上がっているのに、目が全く笑っていない。
目の前の突然言葉を止めたナイトメアの様子がおかしいと感じたアリスはナイトメアの凝視する横にいるグレイの顔を下から覗き見たが、その黄色い瞳にふくまれた不穏な色まで見ることはできなかった。突然表情が固まったナイトメアに首を傾げるばかり。

「ひっ、グレイ」
「ナイトメア様、アリスと話をしたいだけでしたらとっとと仕事に戻っていただけませんか?」
「悪かった。悪かったから、嫉妬で殺意をこっちに向けるな。大人げなさすぎるぞ。今までも大人の余裕はどこにやった」
「まさか、自分の上司に殺意なんて向けるわけないじゃないですか。それで、仕事に戻るんですか、新しいイベントについて話すんですか?」

ニコニコニコ。ひゅぅぅぅ。
相反する擬音語を発する顔の圧力にナイトメアが耐えられるはずもない。

「ごほ、ごほん。」

ナイトメアはわざとらしい咳をした。
とことんナイトメアの評価が低くグレイに尊敬の念を感じてるアリスは、よく分からないがさっさと話しはじめないからグレイが怒るのだろうと、あくまでもグレイがよくてナイトメアが悪いという考えでその事態を結論付けた。

「相変わらず君は……、まあいい。この前君は、ハートの女王に春の領土でのイベントに誘われていたな?」
「それって、ひな祭りのことを言ってるのかしら?」

ビバルディが春の領土で行ったとあるイベント。ぬいぐるみを使う女の子のためのお祭りで、作ったぬいぐるみを並べて楽しむものだと教えてもらった。
でもお祭り当日よりも、お祭りに使うぬいぐるみたちをビバルディやメイドさんたちと作る準備期間の方が実を言うとアリスは楽しかった。

(お裁縫が得意っていうビバルディの隠された一面も見れたしね)

お祭りは素直に楽しむよりも、自分が作ったぬいぐるみたちを見て達成感に浸る気持ちのほうが強かったように思う。

「それで、そのひな祭りがどうしたの?」
「節分というのは、そのひな祭りを行う地方で冬にやるイベントのことだ。」
「へえぇ、そうなの!?」

驚いた声音のアリスであったが、自分がビバルディに教えてもらったときにも今回と同じ反応をしたことを思いだして、少し納得した。ただ……

「俺にはどっちもさっぱり分からないのですが……」

話についていけてない者がその場に一人。

「ん?アリス、君はこいつには何も言わずに春の領土へ行っていたのか?」

ナイトメアは少し驚いた風に声をあげた。かなりの頻度で春の領土に一時期通い詰めていたというのに、恋人であるグレイに何一つ言っていなかったとは思いもしていなかったのだ。ナイトメア自身は領主であることや、休み前の仕事のアリスの思考から当然のように知ってはいたのだが。

「え、えぇ……」

もの言いたげそうに見るグレイの視線から逃れるように、アリスは顔を横に向ける。

(ビバルディに女同士の秘密って約束してたから何も言ってなかったのに、なんでいうのよナイトメアのバカ!!)

心の中はナイトメアへの文句の嵐。
実はビバルディから「女同士のお祭りだから、無粋な輩は混ぜたくない。特にトカゲには教えてやってはならないよ。」と最初のときに約束させられていた。
お祭り当日に着替えたときには、「こんな可愛いお前の姿を見納めることができたのはわらわだけだな。そう思うととても気分がいいよ」と言われて思わず頬を染めてしまったり。女性同士だし、別に邪推されるようなやましいことなど何もないけれど、内緒にしてたことを本人の前で言われたら、自分がすごく悪いことをしていたような気持ちになる。

「ナイトメア様。それで、そのイベントはどんなことをするのですか?」

この場では聞けそうにないとあきらめたのかグレイは話を戻した。
アリスは問い詰めがなかったことに安心する。

「ああ、よくそこを聞いてくれた!」

待ってましたとばかりに言うナイトメア。
さっきまでの妙な空気がまるでなかったかのようだ。

「なんでも自分の近くにいる鬼に豆をぶつけて腹いせをするというイベントだそうだ!」

そう言って威張るように胸を張るナイトメア。勝ち誇ったかのように笑っている上司にグレイはため息をついた。

「さっきも鬼がどうとか言っていたように記憶していますけど………、何なんですかそれは」
「何、とは何だ?そのままの意味だぞ。鬼に豆を投げつけて追い出すイベントだそうだ。まさに私にぴったりだな、はははは。」

ろくな説明もなく、ただただ高笑いをするナイトメア。その様子を見て、これはダメだとアリスとグレイはそろってため息をついた。



とりあえず、一応話は聞いたのでナイトメアには仕事に戻ってもらうことになった。相変わらずごねてはいたが、どうしようもないほど書類が積んでいる以上仕事をしてもらうしかない。
グレイはナイトメアの補佐(という名の監視係)の継続。アリスは最初にやっていた書類仕事がほとんど終わっていたこともあり、節分についての資料集めをすることになった。 ナイトメアの作り話という線が捨てきれないアリスではあったが、二人と別れて一人書庫室に向かった。

普段からちょくちょく使用している書庫室。簡単に見つけられるかと思っていたが、意外とすぐにはみつからない。
やっぱりいい加減なことを言ってただけじゃないのかと疑いだした頃、ようやくいくつか資料を見つけることができた。

(まさかおとぎ話の棚に置いているだなんて)

「この世界からしたら私の世界は、無関係ではないけどおとぎ話みたいなものということなのかしら。」
私が最初この世界を夢だと信じていたように…。

ふるふると頭を振って考えこみそうになった思考から脱出する。もうこの世界のことは受け入れたのだから、そんなことに気をまわしている暇はない。
気を取りなおして調べていくと、ほかにもたくさんの情報が集まっていく。
まずナイトメアが言っていた、鬼に豆をぶつけて追い出す、というのはイベントの中身には含まれているがかなり言葉足らずであったことが分かった。

「ほんとに自分にとっていいことしか見ないんだから、ここの人たちは」

まったくもう、とため息をつく。

文献によると、節分というのは、季節の分かれ目の日の前日のこと。その中でも旧正月でもある春の前日の節分のこと一般的に指すらしい。春の前日とはいっても日付で決められたもので、一年で一番寒い日が節分にあたることが多いそうだ。
豆をぶつけるというのも、もともとは邪気を追い払うためのもの。その邪気がいつしか鬼という空想だが形のあるものに代わり、今では誰かが鬼の仮面をかぶり鬼になって他の人たちが豆をぶつける、といったものになったらしい。

「どんなイベントにもちゃんと意味はあるのね。全然名前も聞いたことのなかったことだけども調べてみると面白いわ」

分厚い本のページをめくりながらアリスはそうつぶやいた。

「クリスマスだって本当はイエス・キリストの誕生日を祝うものですものね。子供にとったらサンタさんがこっそりプレゼントを届けて来てくれる素敵な日だけど」

ふと元の世界のことを思いだす。自分はサンタクロースなんて子供のころから信じていなかったけれど、妹のイーディスは毎年お願い事を手紙に書いていた。
姉さんにねだって作ってもらった、サンタさんにプレゼントを入れてもらうための大きな靴下を吊り下げる手伝いを、毎年頼まれたものだ。

(本当のことを知っても、靴下はいつもかけていたなぁ)

あの子にとってはサンタの存在だけじゃなくて、起きたら朝プレゼントがあるドキドキが何よりも楽しかったのだろう。
思わず、ふふふ、と思い出し笑いをしていると、

「何か面白い内容でもあったのか?」
「わわわ、グレイ!」

本棚の陰からグレイが姿を現した。突然不意打ちでかけられた声に身体が跳ねる。

「ナイトメアの方はもういいの?」
「あぁ、少しは減らしてもらうことができたよ。それに、もう、といっても別れてからかなり経っているんだが」
「え?そうなの??」
「かれこれ2回は変わったよ。ナイトメア様は少し疲れたといって部屋に戻られた」
「そうだったのね。全然気づかなかったわ」

場所探しに少し時間とられてしまったかしらと悔やむ。でも、本はちゃんと見つけはだせたからよしとしたいところだ。

「ちゃんと本は見つかったわ。まだ軽く調べただけだけど豆を投げるだけじゃなくて他にもすることがあるらしいの。雪まつりみたいに町全体でっていうのは無理そうなんだけど、塔で小さくやる分にはいいんじゃないかしら。みんなもいい息抜きになると思うわ」
「そうか、調べてくれて助かったよ。」

アリスのすぐそばまでゆっくり歩み寄ってくるグレイ。その瞳には少し不穏なものが混ざっているのだが、アリスは気づかない。
探し集めた資料を見てもらいたくて、見つけた本を抱えてとたとたと走り寄った。

「あのね、まずこのほ……んん!?」

だが、グレイに本を見てもらおうと顔を上げたときに顎を掴まれてそのまま強引にキスされる。
いつもならグレイが前かがみになって身長差があっても苦しくなくしてくれてるのに、今回は無理やりアリスの顔を持ち上げるようなキス。
重心が後ろに傾きバランスを崩してアリスがよたよたと後退すると、そのまま本棚に押し付けられた。

「ん、んぐ……、…あっ」

急な角度に顔を向けられて、喉が締まる。その上口を塞がれてるのだから、アリスは息をするタイミングがうまくつかめない。手がゆるんで抱え持っていた本がばさばさと落下したが、そんなことを気にする余裕もない。
つま先立ちになり相手の息継ぎのタイミングに合わせようとするが、頭が本棚に押し付けられる痛みと奥へ奥へ入り込もうとする舌に思考が流される。

「っは、…けほ」

ようやく手が離されたときにはアリスはすっかりが抜けてしまっていた。グレイが腰を支えてくれなかったら床にへたり込んでしまっていただろう。

「また………だな、俺は」
「っはぁ、…………え?」

荒い呼吸をしながら滲み出た涙で潤んだ目で見上げると、決まりの悪そうな顔をしたグレイと目が合った。

「自分の感情が抑えきれなくなると、すぐこれだ」
「えっ……?」
「男ではなく、女に君を奪われてしまってもこんなに嫉妬してしまうだなんてな」

にじむ涙をなめとるように目元に唇を寄せ、そうつぶやくグレイ。

「………資料は後で一緒に探そう。だから今はこのまま俺の部屋に来てほしい。」
「!!……えぇ、いいわ」

ただ部屋にいってお茶を飲む、というわけではないことはさすがに分かっている。
今のグレイは初めて抱かれたあの春の領土のときと同じ。もしかしたらこの場でこのまま……、ということもほんとを言うと頭をよぎった。
それだけ自分に合わせてくれようとしてくれてるのかと思うと嬉しくなる。

ずっと休憩も重ならなかったし、誘われるのも久しぶり。当の発案者も今は休憩中。
多少ぬけてしまっても誰も文句は言わないだろう。

差し出された手を取り、アリスたちは書庫室を後にした。


☆☆☆


準備や手配がすべて終わりイベントが開催される時間帯になった。ナイトメアから節分という言葉がでたときからだいたい40時間帯たっただろうか。
何に一番時間がかかったかといえば、たまりにたまっていた仕事。ほとんどないところまで終わらせない限りイベントはやりません、とグレイに言われたナイトメアが涙目になりながら必死で仕事をしていた。

おそらく今一番イベントに燃えているのはナイトメアだろう。イベントというか豆をぶつけることに。

(絶対イベントの趣旨が変わってるわ、あの人。全部自業自得なのに)

なんのためのイベントなのかをきっちり教え込まないと、とアリスは意気込んだ。


メイン場所は談話室となった。もともと談話室に置かれていたソファーなどは別の部屋に移されている。今は別のとこから持ち込まれた椅子と大きな長机がたくさん置かれていた。
そしてその上には野菜や卵などをごはんごとノリでまいた長いものがたくさん置かれている。

「アリス、これは一体なんなんだ??」
アリスのすぐそばにいたナイトメアがその海苔巻を指さして首を傾げた。
「それはね、恵方巻っていうのよ」
「恵方巻?」
「ええ。他にも丸かじり寿司とかいろいろと別の呼び方もあるらしいんだけど、一番オーソドックスな呼び方は恵方巻のようなの」

豆をまいて終わりというのは何ともあっけないので、節分に関連する行事(?)も行うことにしたのだ。

「節分の日にだけ食べるのもらしいの。中身は7種類の食材を入れてあるわ。7という数字が縁起がいいそうよ」
「ほおぅ」
「毎年恵方と呼ばれる方向があるらしくて、その方向を向いて、一本丸々一気食いするといいらしいの」
「こ、これを一気食いか……?」

たくさん置かれている恵方巻をみてプルプルと震えるナイトメア。勢いよく食べて、喉に海苔を詰まらせる想像でもしたのだろうか、無意識に喉に手を当てている。

「ああ、別にスピードは求められていないから、安心して」
「そ、そうか」

明らかに安心した顔をして、ほっと息をつくナイトメア。

「食べ方にもいろいろと種類があるそうなの。目を閉じて食べるとか、笑いながら食べるとか。でも今回は初めてだし一番基本らしい食べ終わるまで一言も声を発しない、っていうのをやってもらおうかなって思ってて」
「何も言葉を発してはいけない…?」
「ええ。しゃべると福が逃げちゃうそうよ。包丁で切らないでかぶりついて一本食べるっていうのも、切るって行為が縁を切ることに繋がるからなんだって」
「なるほど。うまく考えられたものだな」
「ほんと、そうね。」

顎に手をあてながら大きくうなずくナイトメアを横にそうつぶやく。
最初に調べたときにも思ったこと。最初かぶりつくっていう文章を見た時には、食べやすい厚さに切った方が行儀もいいと思うし絶対きれいに食べれるだろうにと思ったりもしたが、ちゃんと意味があるのだと知ればそんな考えも飛んでしまう。

「あと恵方巻を食べている間、心の中でお願い事をしておくのよ。願い事を心で言いながら無言で食べきることができれば、その願い事は叶うっていう風習らしいの。逆を言えば、途中でしゃべっちゃうとお願い事は叶わないってことになっちゃうんだけど」

そういって机の上の恵方巻の持った皿を抱えてナイトメアの方に差し出す。ナイトメアはおずおずといった形で手を伸ばす。

「それは……、ちょっと怖いな。とりあえず食べきるまでしゃべらず、願い事をしながら、最後まで食べきる、だな。よしっ」

アリスの差し出すお皿から一本の恵方巻を掴みとるナイトメア。だが、いざかぶりつこうとしたところで、動きが止まった。

「なぁ、アリス。その恵方というのはどっちなんだ?」
「あっ!そういえば言うの忘れていたわね」

恵方をどうするか。そこはグレイともかなり話し合ったところだ。
恵方を決めようにも、この世界に正確な方角というものは存在しないらしい。なにせ、引っ越しが起こってしまえば場所もなにもぐちゃぐちゃになってしまうので、決めるだけ無駄なのだとか。

「そこはもうこっちっていう風に完全に決めちゃうんじゃなくて、自分が見たい方向を向いて食べてもらおうってことになったの」

結局決められないのならいっそのこと個人に任せてしまえばいいんじゃないか、という結論にいたったのだ。

「特にこちらっていう風には決まってはいないんだな」
「そうよ。だからどっち向いててもいいから、しっかりと食べきってね」
「……あぁ、がんばるよ」

一本を皿の上から掴むと、ナイトメアは勢いよくかぶりついた。

(あっ……そんな一気に口に入れたりしたら……)

「……っっ!!!!」

案の定喉に詰まらせたのだろう、バタバタともがきだした。声を出したらいけないという言葉がきいてるのか、無言で暴れているが段々顔色が尋常じゃないことになってきている。

「ナ、ナイトメア。ちょっと待って、今すぐ飲み物を…」
「……っ!ナイトメア様、一体何をなさっているのですか!!」

アリスが慌てていると、会場設計にあたっていたはずのグレイが突然帰ってきた。
というのも、二人は気づいていなかったが、アリスとナイトメアの様子を遠くからもチラチラと覗っていのだ。突然うずくまったナイトメアの姿を見たグレイは、やっている作業を中断して二人のもとに走り出したのだった。

「とりあえずこちらを焦らず飲んでください」

遠目からでもどういう状態に陥っていたのかある程度判断がついていたグレイは、二人のもとに行くまでにテーブルに置かれていた水を入ったコップを取ってきており、ナイトメアに差し出した。
差し出すコップを受け取ったナイトメアだが、もちろんナイトメア自身にそんなグレイの忠告を聞く余裕もない。言い終わる前にそのままぐいっと一気に飲み、喉のつっかえは取れたが代わりにうずくまって激しくむせだした。

「だから焦らずに飲んでくださいって言いましたのに」
「ゲホッゴホッ」

さすさすさす。やれやれといった風にグレイはナイトメアの背中をさする。
撫でられているうちになんとか落ち着いたのかせき込みは止まって、荒い呼吸を繰り返すまで落ち着いた。

(無事でよかったけど、どこの老人と介護者よ……。まぁイベント開始そうそう騒ぎにならずにすんでなによりだわ)

はぁっとアリスが息をつくと、涙のにじんだ瞳がじとーっとにらみつけてきた。
口をパクパクとさせて抗議しているが、アリスには何が言いたいのか分からない。ある程度予想はついているとはいえ。
全然分からないという風にアリスが首を傾げていると、下を向いて落ち込んでしまった。なんだかちょっと悪いことをした気がしてしまう。

「私はあなたじゃないから、目線だけじゃ伝わらないわ。残りは落ち着いてゆっくり食べるのよ」

ずっと声出すのを我慢していたから、きっと一本食べきりをやりきりたいのだろう。
肩をポンポンと叩いてあげると、またじとーっと睨まれた。

(これは……子供扱いするな、ってことかしら)

と考えたら、ぶんぶんと顔を上下に動かすナイトメア。当たりだったらしい。

「はいはい、じゃあ大人のナイトメアさん。ちゃんと食べきってくださいね」

ナイトメアと話をしていたらイベントが進まなくなってしまう。アリスだって当然企画だけでなく実際にイベントに参加したい。

「グレイはあっちの仕事、もう大丈夫なの?」
「あぁもうだいたい終わっているよ。あとは俺がいなくても大丈夫だろう」
「そう、それならよかったわ。グレイも丸かじりやらないとね」
「そうだな」

グレイはナイトメアの様子を見て慌てて飛び出してきたからまだやることが残っているのかもと思っていたのだが、大丈夫のようだ。
ちらりと辺りを見渡すとところどころでもう食べ終わってる人もいる。自分たちもそろそろ食べ始めないとやる前にイベントが先に進んでしまう。
アリスは持ったままのお皿をテーブルに戻して一本恵方巻をとる。掴んでみると予想よりがっしりとしていて、なんだか気合いが入った。

.「じゃあ、私はあっちで食べたいからまた後で。あ、ナイトメア、ちゃんとお願い事しながら食べるの忘れちゃだめよ。それに、立ったままはお行儀が悪いから座って食べなさいね」

実際に開催される前から、実はどこでどっちに向いて食べるか決めていた。二人に声をかけてから壁際に移動する。
近くにおいていた椅子をひっぱってきて壁そばに座る。

談話室が見渡せるこの場所。ナイトメアのように丸かじりを始めている人、もう終わって談笑している人。
この場にいる人たちをみんな見ることができるところで丸かじりをやりたいなと考えていた。

一度目を閉じて大きく深呼吸してから、目を開けて大きく口を開けた。そしてぱくっとかぶりつく。

「!!」

海苔と中身をしっかり噛み切る。一本喰らいついて食べるというのははしたないし、それよりなにより食べにくいかと思っていたが、意外と食べやすいことに驚いた。
変に切れ込みとか入れずしっかり巻かれているおかげか包まれたお米がそこまでほぐれてしまうこともないし、海苔が伸びて噛み切りにくいところもあるがそこまででもない。
味もご飯と海苔と少しの具だけであるはずなのに、なかなかおいしい。

味わって食べながら、恵方巻で大切な願い事をアリスは心の中で思い浮かべた。


(このままみんなとずっといれますように……)
いつか離れることが決まっていたとしても、ほんの少しでも長くみんなと入れますように……。

恵方巻を食べるタイミングを全員で合せず各自でにしたのも、意図があってのことだった。いろんな人の様子を見たいというのもあったし、それに一斉に食べ始めたら談話室が無音になってしまう。
そうじゃなくていつものように活発な塔の様子を見ていたい。それが一番幸せな方角……方向だアリスはと思ったのだった。

それと……

はむはむっと恵方巻を食べつつあるアリスに近づいてくる足。口元に手をあてて顔を上げると大切な恋人であるグレイが目の前に立っていた。

(この人とずっと恋人で一緒にいられますように……)

苦い記憶だけを残したあの恋から初めての恋。八つ当たりととばっちりで、知り合って間もないころは酷い対応しかしていなかったのに怒ることなく受け止めてくれた人。子供な私と違って、落ち着いた大人で素敵な人。
明らかに私とつりあっていないとしか思えないのに、そんな私を好きと言って見つめてくれる人。この人といつまでも……

「もう君も食べ始めたんだな。俺も食べ始めないといけないな」

アリスが自分のことを考えていたことを知ってか知らずか、アリスと目が合ったグレイはにこりと笑ってそう言って、アリスと同じように近くの椅子を移動させてきた。

「っっ!!!」

驚いて思わず声が出そうになったのをアリスは必死に飲み込む。隣に並んで一緒に食べるのかなと思っていたら、グレイはアリスの方向を向いて座ったのだ。
アリスは身体をそのままにちらりと視線を向けるとグレイとばっちり目があった。

「俺が見たいと思うのは………、俺が幸せと思える方向は君がいる方だから。」

そう笑って告げると、グレイも恵方巻にかぶりつく。
アリスは慌てて元の方向に顔を戻した。じっと見られているのを直視するなんて恥ずかしすぎる。さっきまでと同じように食べたいのに視線がじっとこちらを向いているのは感じ取ってしまう。
今恵方巻は半分食べたか食べてないかぐらい。まだもう少し食べきるには時間がかかる。食べているところを凝視されてるなんてただでさえ恥ずかしすぎるのに、恵方巻は大きく口を開けて食らいつかないといけない。きっとすごい顔になっているんだろうなと思うと顔が熱くなってくる。それなのに文句の一つも言えないなんて。

真っ赤になって、食べ進める。焦りすぎて、喉に詰めそうになりながらも必死に食べる。食べることに集中しないと、恥ずかしすぎて死にそうだ。
もくもくとは言えないけれど、必死に食べ続ける。もはやお願いを考えている余裕もアリスにはなかった。

その間グレイはそんなアリスの反応をもちろん見ていた。アリスには見えていないが瞳がいつかの花クジラを愛でていたときと同じで、でももっとぎらついた色を帯びている。

(俺は、こんな君をずっと眺めて、触れ続けることが望みだな)

目の前で奮闘している少女が愛らしくていとおしくて、何があっても手放したくないとグレイは思う。それを阻む者がいるならば、八つ裂きにしてすぐに排除してやるしその前に十分後悔させてやりたい。
そんな危険思考をダダもれにしつつゆっくりと恵方巻をほうばっていた


(これでラストよ!!)

アリスはというとついに最後の一口までこぎつけていた。少し大きめな残りを口の中に放り込む。その時

「よっし到着、………ってあれ、ここほんとに談話室?もう、ユリウスーお前まで方向音痴になったんじゃないのか。俺と仲間だな、あははははは」

バタンという大きな音とともに、爽やかな大声が聞こえてきた。

「私とお前を同じにするな。少し内装が変わっているだけだろう、それも分からないのか」

その後から少し怒った声も聞こえてくる。

本日二度目、アリスは驚いてむせかえりそうになったのを必死で食い止める。
口を両手で塞いで、もごもごと口の中のものを飲み込む。立ち上がってからドアの方を向いた。その先にはカラカラ笑いながら腕を引く赤い服の茶髪の青年と、あからさまに嫌な顔をしながら腕を引かれている長い髪の背の高い男の人。言うまでもなくエースとユリウスだった。

「ユリウス!!それとエースじゃない!」

ぱたぱたと二人の方に駆け寄る。
……この時点でグレイのことは完全に忘れられてしまっていた。


「なんか俺のほうがおまけみたいな言い方だな。そんな言い方しちゃうとすねちゃうぜ」
「ごめんごめん。だってユリウス、この前私がイベント参加してくれるように頼んだのに、絶対に嫌だって言ったから驚いて」

冬の塔とつながった一室。元家主であり大好きな友人であるユリウスに、アリスはもちろん節分のイベントの誘いに行った。
同じ場所に住んでいるのだから、誘わないとおかしいぐらいだ。それに、相変わらず部屋から出てこない出不精な彼とイベントを楽しみたいという気持ちも大きかった。

だが、ウキウキしながらイベントの説明をするアリスにユリウスは一言「嫌だ」というだけであった。

「当然だろう。私に叫びながら豆を投げろというのか、馬鹿馬鹿しい」
「豆投げるのが嫌なら逃げる役でも……」
「私が豆から逃げながら走る様子を想像できるのか、お前は」
「え、投げられる豆から逃げるユリウスが見れるのか?うっわぁ、それすっごく面白いじゃないか、あはははは。連れて来てよかったぜ」

横で想像したのか、エースが爆笑しだす。アリスも、鬼のお面をかぶって、自分が投げる豆に背を向けて全力疾走するユリウスを思い浮かべてしまいクスクスと笑いを漏らした。

「やるわけがないだろうが!お前ら想像するな!!それにエース、何が連れてきただ。まず、談話室の場所までお前がすぐ行けるわけがないだろう」
「えーー、そんなことないって。俺だってたっまたま迷わず一発で来れる可能性だってないわけじゃないんだから」
「「それは、ありえないわ(だろ)」」

二人の一刀両断のツッコミが同時に入る。ハートの国ではおなじみだったやり取り。
仲良く一緒に暮らしていただけあってか、二人のコンビネーションは最高である。

「相変わらず二人ともなかいいな、あはははははは。そのまま結婚でもしちゃえばいいのに」
「「なぁ!?」」

またハモる二人。だが、必死になってる二人は気づいていないが、そばにはいつの間にかもう一人人物がいた。

「それは困るな。恋人を奪われるだなんてたまったものじゃない」
「!?あ、グレイ」

突然後ろから腕を回されてアリスはビクンと身体をはねさせた。アリスが顔を上げるとグレイがじっとユリウスとエースをにらんでいるのが見えた。

「それで、なんで時計屋と騎士がここにいるんだ?時計屋はアリスに参加しないと告げたんだろう?」

自分が恋人とはいえ、アリスと特別な仲であるユリウスにグレイは対抗心を持たずにはいられない。
そして、騎士はすぐに喧嘩をふっかけてくるから、苦手。……というのは控えめな言い方であって実際には大嫌いだ。
特にさっきまでアリスの恥じらう姿を見て楽しんでいたというのに、この二人のせいで台無しにされ普段よりイラついている。

「俺が連れてきたからさ。偶然塔の役なしがこのイベントについて廊下で話しているのを聞いたんだ。イベントには参加しないとな!むしろ連れてきた俺に感謝してほしいぐらいだぜ」
「だれが感謝するか。お前が無理やり私を引っ張って行ったんだろうが。引くはいいが、反対方向にばかり進もうとして。しかたないから私が連れて来てやったんだ。」

(エースがごり押ししたのね。でも今回はありがたいわ!)

ぱぁっと笑顔になったアリスを見てさらに苦味を帯びた顔をするグレイ。
自分が知り合う前から仲がよかった3人を引き裂くことは残念ながらできないだろう。アリスの笑顔は好きだが、こいつらのために笑っているのを見たら逆に泣かせてしまいたくなる。
そんなグレイがドス黒い感情に包まれていることも知らず、アリスは二人にまず恵方巻の話をする。もちろん巻き付いていたグレイの腕は恥ずかしがったアリスによって解かれていた。それもダークなオーラを醸し出している理由のひとつとなっているのだが。

「へぇぇ、これを一気食いね。俺は全然平気だぜ、それにここ数時間帯ごはんを食べ損ねてるから、おなかペコペコでさ!ありがたくいただくぜ」
「ええ、どうぞ」
「ほうら、ユリウスも食べなよ」
「は!?いや私は……むぐっ」

断ろうとしたユリウスの口に問答無用に恵方巻を突っ込むエース。

「ほら、しゃべっちゃうと願い事叶わないんだぜ。ちゃんと食べろよユリウス」

文句を言われる前に先手を打たれてしまうユリウス。すごい目つきでエースを一睨みしてから仕方がないといった風に食べ始める。
だが、食べ進めるうちにゆるんでいく眉間のしわをアリスは見逃していない。

(よかった。ユリウスの口に合ったのね)

にこにことユリウスの食べてる様子を眺めているアリスと、それを見て歯ぎしりするグレイ。そしてその様子を見てニヤニヤするエースと、はたから見ると恐ろしい構図が出来上がっていることに本人たち(エースは除く)は気づいていない。

その空気を壊したのは、会場から聞こえてくる心の声が耐えきれなくなったナイトメアであった。

「………お前たち、私がいない間になんという空気を作り出しているんだ」

役なしたちからの怯え、グレイのもはや隠しきれていないドス黒すぎる思考、そんな中一人だけぽわぽわした言葉が流れてくるギャップ。ユリウスの願いも聞こえてくるところが、もうなんというか痛い。
………ちなみにユリウスの恵方巻にかける願いは、実際にはなんだかんだと御託を並べているのだが、単純に一言で表すと『アリスの願いが叶いますように』だ。もうなんと言っていいのやら。
エースの願いも一部ナイトメアは聞き取ったのだが、ここでいうのはやめておこう。

「あら、ナイトメアじゃない!ちゃんと食べきれたの?」
「私を子ども扱いするな。もちろん一言も発することなくきれいに食べきったに決まっているだろう」

アリスの注目がユリウスから自分に移ったことにより、グレイの冷気か殺気か、そういったものが少し穏やかになり内心ほっと溜息をつくナイトメア。周りの役なしたちもほっとした表情を浮かべている。
ユリウスはしまったという風に顔をしかめてから、また無表情に戻る。ナイトメアにあまり聞こえないように心を制御しているようだ。今更手遅れだが。
そしてその中で一人だけ、ちぇっ、とでも言いたげな顔をしているエースにナイトメアは向き合う。

「ハートの騎士、場をかき回すのも極力控えてくれ」
「あははは、何言ってるんだよ夢魔さん。俺は別に何にもしてないぜ。変ないいがかりはやめてくれよな」

それだけ言うとふいと顔を背けてしまった。
まだおなかが空いているのか、もう一本取ろうとしたエースであったがユリウスに手をはたかれてしまう。
ちなみにエースは驚くべきスピードで一本食べきった。よくもまあ飲み物も飲むこともなくそのスピードで食べきることができたなと、アリスはこっそり呆れていたりする。ユリウスはわりとゆっくりなスピードで目を閉じて食べていた。なんだかんだといいつつ、しっかりお願い事をしながら食べていたんだろうな(まさにその通り)とアリスは嬉しい気持ちになっていた。

「あ、やっと食べきったのかユリウス。遅いからもう一本ぐらいいただこうかと」
「お前が食べるのが早すぎるだけだ。ここに着いたときもそうだが、お前はもう少し謙虚という言葉を覚えろ。それにだいたいお前は……」
「まぁまぁ、ユリウス落ち着いて落ち着いて」

お小言が始まりそうになるのをアリスは止める。ここが時計塔ならば止めたりはしないけど、今回はクローバーの塔だ。まだイベントも途中だし、進行役である自分がしっかり場をまとめていかないと。

「そろそろ次に移っても大丈夫そうかしら……??」

周囲を一通り見まわしてみる。もう丸かじりをやっている人はいないように見える。食べている人はちらほらいるけれど周りと談笑しながら食べていることから、おそらく二本目以降なのはずだ。
もう恵方巻を食べるというイベントは終わったということでいいだろう。

「ナイトメア、豆まきに移るわよ!」
「おおお!待っていたぞ。やろうやろう」

次は今回のメインイベントである豆まきだ。

「んん?豆まきって一番最初に言ってた投げられる豆を走ってよけなくちゃいけないってやつのこと??」
「え、まぁそうなんだけど。そう言っちゃうと語弊しか招かないというか、ほとんど間違っているというか」

エースがノリノリで聞いてくるのに頭を抱えるアリス。最初に話をした豆をよけて走るユリウスのことをまだ覚えていたようだ。

「豆まきは豆をまいて鬼を追い払いましょうっていうイベントのことよ」
「え、鬼??じゃあ君はユリウスのことを鬼だと思っていたのか?確かに怒ると鬼だけど」
「おい、今何か言ったかエース?」
「いいや、何にも言ってないよ」
「勝手にユリウスが走る設定にしたのはあなたでしょう。はぁ」

こう話が脱線しかけるのは素なのか、わざとなのか…

「鬼っていうのは悪いもの一般を形にしたようなものよ。それを豆を投げることで追い払うってのがこのイベントの趣旨。ただ、単に豆を投げるだけなのはつまらないから、誰かが鬼の役をしてその人に向かって豆を投げるってことになってるの」
「ふうん。ただの豆で逃げていくなんて鬼も脆弱だなぁ」
「こら、そこは突っ込まないの。豆には悪いものを追い払う力があるっていう信仰がこのイベントが行われている地方にはあるらしいのよ。だからわざわざ口を挟まない」

そんなことにいちいち突っ込んでいたら、行事なんてやってられない。

「はいはい。で、鬼役は誰がやるんだ??」
「それはね…」
「グレイだ!」
「ナイトメアうるさいわよ」

もうこの人はそれ以外にないのか。
どれだけグレイに恨みを持っているんだとしか言いようがない。全部逆恨みのくせに。と文句を言いたくなるが、ひとまず我慢する。

「とりあえずグレイは鬼役は決定させられたの。あとは塔の人たちが何人かやってくれるわ。鬼役は鬼役で楽しそうだからって」
「ふぅん」

その言葉を聞いて手を顎にあてて視線を宙に浮かせるエース。
なんだか嫌な予感しかしないが、見なかったふりをする。アリスはユリウスに声をかけた。

「ユリウス、ここまで来たら豆まきにも参加してくれるわよね??」
「帰る………と言いたいところだが、こいつが大人しく帰るとは思えんし。仕方がないから参加してやる。ただし鬼役はごめんだぞ」
「ありがと、ユリウス」
「なぜおまえが礼を言うんだ」

エースに一瞥をくべてから大きなため息をついて、参加を告げるユリウス。
明らかに仕方がないからといった雰囲気を出してはいるが、ともかく豆まきにもユリウスは参加をしてくれる。アリスが嬉しくないはずがない。

「えっと………、グレイ大丈夫?」
「………んん?何が大丈夫、なんだ?特に何ともないが」
「そう?それならいいんだけど………」

ずっと近くにいたグレイに声をかける。グレイはずっとそばにいたのに一言も会話に参加していない。
グレイとユリウスがなぜかそりが合わないことは知っているけれど、ずっと黙ったままでいたというのはなかなかなかったはず。もしかしてすごく不機嫌なのかもしれない、と恐る恐る声をかけたアリスであった。
口調はいつも通りであるが、なんだか目を合わせてくれてないような気がする。
どちらも大好きな二人だから、二人にも仲良くいてもらいたいけどそれはなかなか難しいようだ。

「じゃあ豆と器とお面と、グレイとって来てもらってもいいかしら?私は恵方巻やお皿を回収してくるわ」
「ああ、分かった。そちらは頼むぞ」

さっそく準備にとりかかる。グレイはそれだけ言うと、何人か塔の役なしを呼び集めて談話室から出ていった。
豆は一粒なら小さなく軽いものだが塔全員で豆まきする量はそれはもう膨大になってしまう。そこまでになればいくら小さな豆とはいえかさばるし大変重い。なのでいったん隣の部屋に豆まきの物品はおいておいたのだ。
力仕事はグレイやほかの人に任せてアリスは残った恵方巻の回収といった後片付けに入る。

「じゃあ三人はここにいてね。ちょっと準備してくるから」

残りの三人に声をかけてからその場から離れる。
仲が悪くはないが、和気あいあいとお話をするには厳しい三人が残された。

☆☆☆

「おまたせしたわ………ね」

残ったものを厨房に持っていって、机やいすも壁端にどけて、隣から持ってきてもらった豆を小さい器人数分に分け入れてからアリスが三人のもとに戻った、のだが。

「ナイトメア………あなたなんだか涙目になってない??」
「アリス!こいつらが私をいじめるんだ」
「いじめ………。あなたほんと子供ね」

情けなくてため息が出る。
およそエースに爽やかに嫌味を言われたのだろう。ユリウスがナイトメアのフォローなんてするはずもないし。

(むしろ追い打ちかけられてそうね)

「二人とも、ナイトメアを馬鹿にするのもほどほどにしてあげて。拗ねたらもっと働かなくなるじゃない」
「あはははは、アリス、それ遠まわしにけなしてる?」
「えっ??」

振り返ってみるとナイトメアがふさぎ込んでしまっている。
無意識に逆に自分でもやってしまったようだ。

「あっえっとほら準備できたから。豆まきやるんでしょ。ほら移動しましょ」
「ううう…」
「二人ともこっちに来てね」

ナイトメアの腕をつかんで無理やり連れていく。自分も落ち込ませた原因にんあってしまったようが、もうここまで来るといちいち相手をするのも面倒だ。
その後ろに「夢魔さん情けな」とからから笑うエースと、「さっさと終わらせて帰るぞ」と渋い顔をしたユリウスもついてくる。
中央にいたグレイと合流した。

「グレイ運んできれてありがとね」
「力仕事はしないとな。じゃあアリス、みんなに説明を頼む」
「ええ、分かったわ」

主催者は一応ナイトメアってことになっているけれど、今回ナイトメアは完全に楽しむ方に回ってしまっているので司会は実質アリスとグレイということになっている。
これが街あげてのことや、国としてのイベントならいざ知らず、塔という仲間内でのイベントなのでそこまで格式ばる必要もないと考えたのだ。

「今から豆まきの簡単な説明をしますね。聞いてください」

ほとんどの人がもう集まってくれていたので少し大声を出したら視線が集まる。

「ほとんどの人が豆まきの由来とか一通り聞いてると思うんで省略しますね。鬼役やってくれる人はこのお面を頭につけてください。他の人はその人に向けて豆を投げてください。掛け声は『鬼は外 福は内』。場所はここの階全部にします。」

前もってやり方や由来をまとめたプリントをみんなに渡しておいたので、説明とは言ってもこれは最終チェックみたいなものだ。

「でも階段のそばで投げるのはできるだけやめてください。あと、相手は人なんで威力はそんなにないけど、至近距離からの全力投球はやめるように。持っている豆がなくなったらここにおいておくんで入れにきたりしてください。食べてもらってもかまいません」

本当の節分では豆まきが終わったあとは数え年の数だけ豆を食べる、ということをするらしい。それは身体の健康を祈ってのものなのだとか。でもこの世界には時間の定義がなく、それゆえ正確な年齢とかも存在しない。
だからここも自主性を重んじることにしたのだ。完結に言えば、食べたいだけ食べてもらったらいい。

「説明は以上です。とにかく楽しむことが一番なので!人じゃなくて壁になら全力で投げてもらってもかまわないんで、日ごろのストレス発散しましょう」

そう締めくくるとみんな笑顔でうなづいてくれた。前置きはこれぐらいで十分だろう。 お面は今アリスが持っているからアリスが直接鬼役をしてくれる人に渡していく。

最後にグレイに渡して、余った分を机の上に置こうとしたら思わぬ声をかけられた。

「アリスーーー、俺にも一枚くれないか?」
「っ!!え、エースも鬼役したいの??」

エースが鬼役をやりたいだなんて言うとは思っていなかった。

「あぁ、鬼っていえば赤だろう!俺にぴったりだと思うんだ」
「えっ?うん、まぁそうかしら??」

鬼=赤ってなんだか無理やりな気がしなくもないけど

「おい、怪しいと思ったときには何もやらせないほうがいいと思うぞこいつは」
「うっわ〜、ユリウスお前そういうこと言う?だったら俺の代わりにユリウスが鬼やればいいじゃないか」
「だからなんで私が。勝手に言っていろ」

ユリウスが机の豆が入った器を取りに近づいた時、さり気に忠告してくれたが、地獄耳なエースにはバッチリ聞こえいていたようだ。それによるトバッチリが己に降りかかるとわかったらユリウスも離れていってしまった。普段なら何だかんだと助けてくれるんだけど、もうエースの相手をする元気もないのかもしれない。
アリスもエースとこれまでだてに長い期間付き合ってきてない。こういう風に言ってきたらたいていロクなことしかしでかさないとはアリスにも分かっている。
ただいくら付き合いが長かろうが、残念ながらこの人がやろうとしていることを止める方法までは身に着けてはいない。

だから、引き攣った笑顔を浮かべてお面を渡すしかアリスには道はなかった。



「みんな準備できましたー??」

辺りを見回して声をかけてみる。ちゃんとお面はつけてくれてるし、豆も持っているようだ。
目が合うとうなづいてくれた。
横に立っているナイトメアに目線を送る。

(開始宣言してくれていいわよ)
開始宣言ぐらいは提案者にしてもらわないとね。

「さあ、では豆まき開始だ」

ナイトメアの声が響く。

一番最初に声を出すのは勇気がいるのかほんの少しの静寂が訪れる。 そんな空気を壊したのはもちろん

「おにはーーーーそとーー!!」

このイベントを心待ちにしていたナイトメア本人であった。
一粒ずつしゃなくて片手にいっぱい掴んで投げる。ぱらっぱらと豆が散る音がする。
それにつられるように、周りの人たちも豆をまいていく。

「おにはーーそと」
「ふくはーーーうち」

パラパラという音と掛け声、それと足音があたりに溢れ出す。
足音というのは、鬼役は豆から逃げるように走るようという決まりを設けたからである。棒立ちになっている人にただ当てるなんてのはどうかと思うし、家庭などで行う場合はは自分たちの場所から追い出すまで投げたりするそうだ。なので適度に逃げて適度に追いかける、そんな逆鬼ごっこ形式で行うことにした。

そんな感じで少しの間和やかに豆まきを行っていたら、少し遠くからざわめきが聞こえてきた。それと少しの悲鳴。

「な、なに??」

その物音を聞き拾ったアリスが声が聞こえた方向を振り返ると、赤いコートがひらめいているのが見えた。
それは当然………

「エーース!!!あなた何をやっているのよ!!!」
「なんだ、アリス?」

その場からアリスが大声で叫んだら、エースは止まった。
それと同時にばたりとエースに首筋を叩かれた豆まきしていた顔なしが豆をまき散らして倒れた。

「なんだじゃないわよ、なんだじゃ!!あなた一体何で人襲っているのよ!!」
「えーーー、だって一方的に豆投げつけられるなんて鬼かわいそうすぎるじゃないか!鬼だって反撃するだろう」
「だからって攻撃するなんて………。まさか殺していないでしょうね」
「さすがに殺してはいないよ。アリス怒るだろ?気絶してもらってるだけだよ」

殺していないという言葉に安心していいのか怒っていいのか…。いや、怒らなければ。

「今すぐやめなさい、こら!!」
「やだよ。それにそもそも誰も俺に豆まきしてこないし、つまらない。こうしないと誰も投げてくれないだろう?俺に豆を当てることができたらやめてあげるから、当ててみなよ」

エースはそう爽やかな笑みをあたりにまいて、また動き出した。

エースは鬼役になったはいいが、エースに豆を投げつけるような強者など一人もおらず暇を持て余していた。というかエース自身も、鬼になったところで誰かが己に攻撃してくるとははなから思っていない。
こんなデキレース的なイベントじゃなく、大義名分(誰も当ててこないから当てるように仕方なく仕向けた、という理由)で危機感のあふれたイベントに変えてやろうと思い鬼に立候補したのだ。

さっきまでと違って一斉に豆をエースに投げ始める顔なしたち。いくら殺す気はないと言っているとはいえ気絶などさせられたくはないし、エースなら殺してしまっても『力加減間違えちゃったよあははは』ぐらいなことはいいそうである。
ある意味命がけの豆まきだ。

だが、さすが役持ちなだけあって、全く当たらない。そもそも銃弾であってもこの世界の役持ちという人は簡単に避けてしまうのだ。たかが手で投げた豆程度、避けるのはたやすい。
どんどんエースに手刀をくらい倒れていく。

少しの間戦おうと豆をまく人たちはいたのだがそのうち、これは無理だとあきらめた顔なしたちがエースから離れるように走り出してきた。つまり、逃げ出したのだ。

「っ!!!」

アリスはエースとかなり離れた位置にいた。さっきの会話もアリスは人ごみの奥に赤いコートが見えたのでエースだとわかって会話していたのだが、顔までは見えていなかった。しかし周囲の人がいなくなってアリスはエースを何の障害物もなしにみることができるようになった。
それは当然エースからも同じ。

アリスはエースの獲物を見つけたといわんばかりの笑みを見て、反射的に後ろを向いて走り出した。本能が危機感をいだいたのだ、こいつにつかまると殺られる、と。

幸いアリスは談話室の入口のそばにいた。そこから廊下に走り出て後ろ手にドアを閉めて走り出す。
なぜ鬼を追い出すイベントで鬼ごっこをしないといけないのか。
ただ視線をあびただけで、取って食われる様子がありありと頭の中で想像されてしまったのだ。自分がエースに立ち向かったところで一瞬でやられてしまうのは火を見るより明らかだ。勝てないのなら逃げるしかない、死にたくないのなら。
なぜ走っているのか言葉にはしづらいけども、視線が合ったときの恐怖からにげるように走る。目が合った瞬間全身に鳥肌が立った。
後ろを振り向かず、ただ突き動かされるように走っていると、突然振っていた右腕が掴まれ走っていたのを無理やり止められた。振り返る間もなく、すぐ近くの客室に引っ張り込まれる。
手にもっていた豆の入った器は部屋に引っ張りこまれる際に手が滑ってしまい、客室にばらまかれてしまった。

「っひゃあ……」

思わず叫びそうになった口もとを手で押されられる。パニックになって抵抗しそうになった。が、同時に苦くてでも今はなぜか甘くも感じるタバコの香りに包まれていることに気付き力が抜けた。吸っている姿を直接みることがなくとももうコートにしみついていている香り。
手がはがされて動けるようになり、後ろを振り返る。その先には予想通り、グレイの姿。

「よかった、グレイだったのね。てっきりエースに追いつかれたのかと……」
「ふむ、君はこの状況が安全だと思っているんだな」
「えっ??」

ほっと息をついたアリスであったが、ドンと壁に身体を押し当てられ、足と足の間に膝を入れられ、両腕も大きな手によって頭の上にひとまとめにされ壁に縫い付けられる。

「あの騎士は今回本当にろくなことしてないが唯一鬼が人を襲ってもいいようにしてくれたところはだけは今回認めてやってもいいかもしれないな」

開いた片手でしゅるりとエプロンのリボンを解かれる。
壁に押し付けられてからここまでの動作があまりにもなめらかすぎてついていけずアリスは固まっていたのだが、リボンが解ける音に正気に戻った。

「え、グレイ。何、え、どうして」
「君は、あの二人組が乱入してきてから俺がどんな気持ちでいたかは分からなかったんだろうな」

手はとまることなくアリスの服を脱がしていく。エプロンはそのまま地面に落とされ、胸元もくつろげさせられる。
アリスは反射的に胸を隠そうろ腕を動かそうとしたがビクともせず、身体をひねろうにもグレイに密着されすぎてて逆に動かせずにいた。

「恵方巻を食べている間の君は俺のことしか考えてられなくなっていたのに、あいつらが来てからは俺のことなど欠片も残っていなかっただろう?」

ユリウスとエースのもとに駆け寄ってから、グレイはほとんど何もしゃべていなかった。後になってから声をかけたが、そのときはそんなことに気づかず、二人とずっとしゃべっていて。グレイが、その間すぐ近くにいたことさえ忘れていたかもしれない。
この前書庫で突然激しいキスをしてきたように、自分が思っているより嫉妬深い彼がそのときどんな気持ちでいたのか。嫉妬されるのが当然だと思えるほど自分に自信のないアリスは想像しにくいけれど、女性であるビバルディに焼くほどならば相当我慢していたかもしれないと思う。

「もちろん君が俺と会う前から付き合いがあって仲がいいことはしっているし、君が誰とでも仲良くしたいことはしっている。でも時計屋と仲良くして、それを騎士が見せつけるように笑顔を向けてくるのは耐えられない。君は俺のだ、時計屋やあいつらのもとになんか返したくない」
「んっ」

腕を高く上げたまま顔をアリスの首筋によせ唇を添わせる。そのまま首に紅い痕を残した。 ちくりとした刺激にアリスは小さく声を上げる。

「わ、私は別に今更時計塔に帰ろうだなんて……」
「思ってないことは知っている。思っていても帰したりさせないから同じだが、な」

その言葉を嬉しいと感じる自分はおかしいのかもしれないと思いつつも、沸き上がる優越感は確かにそこにあって。
壁に抑えつけられてるという状態であるのにかかわらず、顎を持ち上げられ重ねられた唇に応えてしまう。

「っはぁ、君は知っているか?物語に出てくる鬼の多くは、美しい娘をさらい食べてしまうそうだ」

唇が離され、飲み込めずこぼれた唾液をぬぐうように舌を這わせるグレイ。吐息が首筋にかかり、ぞわりと背筋に何かが走りアリスは身体を震わせた。

「俺は本物の鬼ではないから、多くの娘を一口に食べてしまうことはしない。だからその代わりに、一番可愛いと思う少女だけを何度も食べさせてもらおう。追い出す豆も使い物にならないことだしな」

その言葉にアリスは、部屋にまき散らしてしまった豆に目をむける。たとえ持っていたとしても、こんな風に捕まってしまえば意味のないもの。
それにそもそもこの人が本物の鬼で食べられて死ぬことがわかっていても、きっと豆なんかで追い払わずに招き入れてしまうのではないかとアリスは思う。襲われるならこの人であってほしいし、この人が襲うのも自分だけであってほしい。

恥ずかしくてそんなこととても言葉に出せないアリスは、目の前の黄色い瞳の捕食者へその身を差し出すように瞳を閉じた。








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