香りと寂寥と温もり





香りと寂寥と温もり 





エイプリーシーズンになり四季ができてから色々な季節を巡った。

桜を見て、夏祭りに行って、雪原を走って

だが最近、他の季節に目を移しすぎて実は今自分が住む帽子屋領の秋はあまり見ていないことに気が付いた。
ハロウィンはやったけれど、それも屋敷内のイベント。帽子屋領にいるときはいつもメイドの仕事をしているし、休みがあればすぐにジョーカーの元に行って季節を変えてもらっ ていた。

(まぁ、最近はずっとブラッドと過ごしているけどね)

だが、ここ最近ブラッドと過ごす休みはブラッドの部屋の中(私に露出趣味はない)。
外でお茶会したり、読書をしたりすることもままあるが、これまで景色を堪能することを趣旨としたことはなかった。

そういうわけで今回とくに誰とも約束していないお休みだったので、まず屋敷の庭の散歩をしてみようと思ったのだ。



最初は軽い気持ちで始めた散策だったのだが、意外といろんなところに“秋”を見つけて楽しんでいた。

(こんなところにコスモスが咲いている)
(紅葉だけじゃなくていちょうの木もあったのね)


そんな小さな発見たちに心を弾ませていた。
でも、ちょっと夢中になりすぎていたようだ。ただでさえ赤い景色が夕日の赤に染まったところではっと気づいた。時間帯が変わったのだ。
帽子屋屋敷の庭はかなり広大。私ももちろん全部場所を知っているわけではない。気が付いたら普段全く訪れない屋敷からかなり離れたところまで来てしまっていた。

いくら屋敷から離れたといっても、あの大きなお屋敷はここから見えるので迷子になることはない。でも

「さすがに遠くに来過ぎよね」

思わず苦笑いが浮かんだ。屋敷から出るときにはお昼だったのに。まさか夕方になるまで探索を楽しんでしまうとは。

「そろそろ屋敷に戻らないと……」

次の時間帯には仕事が入っている。今時間帯が変わったところだが、なにせ気まぐれに変わるものだから油断ならない。
もう屋敷に帰ってメイド服に着替えなくては。

慌てて帰ろうとしたそのとき、ある香りが鼻先をかすめた。

(これって、もしかして!)

帰ろうと思っていたことも忘れて、匂いを頼りに発生源を探す。風が吹く方へ辿っていくと、紅葉の赤に覆われた中に紛れた緑色とその中にちらほら見えるオレンジ。
元の世界の自分の家にも植えられていた植物が、懐かしい甘い香りを溢れ出していた。




それから1・2時間帯という他領土を訪れるには短く、なおかつブラッドとの約束がないお休みには、私は本を持って庭に出ることが多くなった。
だが、本を読むのはこの前見つけた木から少し離れた紅葉の下で……


☆☆☆


最近アリスが屋敷の庭で読書をしているという報告を受けて外に出てきた。もちろんアリスが読書しようと出ていったのだから、時間帯はいまいましい昼。

(私にこんなことをさせるなんて、あのお嬢さんぐらいだ)

だが、不思議と苛立たしい気持ちにはならない。
……むしろ、もっと何かしたくなる

そんなことを思っていると少し遠くの赤や黄色が溢れる中にあの鮮やかな水色がまじっているのが見えた。少し近寄ると、アリスが紅葉の木の根元に腰を下ろして本を読んでいることがわかった。
たまに吹く強い風が彼女の長い髪を荒らしているのに、全く気付いていないのかそれとも気にしていないのか……。おそらく後者であろうが本を読みふけっている 。

「お嬢さん」

軽く呼び掛けてみるが、何の反応もない。本に集中しすぎて聞こえていないようだ。
それではと、今度は背後に回り込んでみる。そして完全に気配を消して忍び寄りかがんで耳元で囁いた。

「……アリス」
「ひゃっ……」

アリスの身体がビクッと跳ねた。
そろそろと振り返ったアリスだったが、相手が私だと分かると恨みがましげに睨んできた。
だが、真っ赤になって少し潤んだ瞳で睨まれたところで何も怖くはない。

「こんなところで読書かな、お嬢さん」
「見れば分かるでしょう。わざわざ耳元で囁くなんて悪趣味よ」
「そうか?私の趣味はそんなに悪くないと思うが」

こんな可愛い反応を見るのが悪趣味というのなら、悪趣味のままでいいぐらいだ。

「冗談はその服だけにしといてちょうだい。」

はぁ、っとアリスは呆れたようにため息をついた。

「……それにしてもあなたがお昼の時間帯に出ているなんて珍しいわね、どうしたの?」
「はぁ、………君がそれを言うのか」

(君のためじゃなければ、こんなとこに来るわけがないだろう)

「お嬢さんが屋敷からずいぶん離れたところで読書していると聞いたから様子を見に来たんだよ。ここはそんなにいいところなのか?」

立ち上がりあたりを見回してみたが、屋敷近くと特に大きな違いはないように見える。
わざわざこんなにも歩いてくる価値がある場所とは思えない。

「ん?あぁ、そうね。今は風向きが違うから。でも、もう少ししたらきっと分かると思うわ」

彼女がそういった瞬間、まるで誰かがその声を聞いていたのかのように突然風向きが逆になった。
それと同時に甘い香りも漂う。

「これは………金木犀か?」
「ええ、そうなの。」

嬉しそうに語る声。

「実は、元の世界の家にも植えられていたのよ。この前散歩していたときに気が付いて、それからよくここに来ているの」

目を閉じて香りを楽しんでいる彼女。
今彼女の目蓋の裏には、どんな光景が写っているのだろうか。

「毎年ある時期になったら香りが漂っていたわ。窓を開けたりしたらふわって。思わずそこから動けなくなっちゃうのよね」

ふふふ、っと笑みをもらすアリス。

「道端でもあの甘い香りがするとふらふらふらって思わずどこに木があるのか探しちゃう。甘い香りで人を引き寄せる。金木犀って不思議よね」


それってまるで……

「君みたいだな」
「えっ?」

アリスは閉じていた目を丸くしてこちらを向いた。

「甘い……香り、というより魅力で人を引き寄せる。人じゃなくて男を、かな。まるで君のようじゃないか?」

彼女の横に私も腰を下ろす。 そして目の前にある髪を指に巻き付けて口付けた。
一瞬むっとした顔をしたアリスだったが、何かに気付いたのか寂し気な顔で微笑みを浮かべた。

「そうね。ある意味私と似ているかもしれないわ」

てっきり怒ると思っていた。同意したことに驚いてまじまじとアリスを見る。

「知ってる?金木犀ってとてもいい甘い香りを漂わせるけど、肝心の花自体はとても小さいのよ?雨がふったりしたらすぐに散ってしまう。それにこれだけ離れていても香ってくるのよ。匂いが強すぎてむしろ近づきすぎるのはためらってしまう」

確かに彼女がいるこの場所は、金木犀からかなり離れている。
本体はあの紅葉の中に紛れているのだろう。

「余所者という言葉にみんな寄ってくるけど、それは私のことをよく知らないから。近づきすぎたら、きっと失望して離れていくわ。私なんて実際は小さくて、面倒な女ですもの」
そう考えたら私とキンモクセイってそっくりよね。


そう告げた言葉に、表情に、胸が締め付けられる思いがした。
周りの奴らにまで優しくするアリスへのちょっとした嫌味のつもりだったのに。私の知らない過去を思い出している彼女に嫉妬してきつい言い方になってしまっただけだったのに。
思いのほか彼女を傷つけてしまったようだ。

「確かに君も近づけば近づくほど甘くなるな」

目を伏せているアリスの顔をこちらへ向かせてキスをする。
口をこじ開け舌で舌を追う。怯えたように奥に逃げる舌をたぐり寄せてきつく吸い上げた。

「ふっ、……………んぁ」

アリスから苦しそうな吐息がこぼれる。
思う存分、彼女を味わってから口を外す。銀糸が伸びてプツリと消えた。

「っ、……いきなり何するのよ」

真っ赤な顔で怒鳴られる。どちらかわからない唾液で濡れた唇を舐めると、アリスの赤い顔はさらに赤くなった。

「君が自分は金木犀に似ていると言うから。近づくほどにどこまで甘くなってくれるか見たくなったんだ」

そしてそのまま押し倒す。彼女が持っていた本は脇に落ち、赤で敷き詰められた地面には彼女の金髪が混ざりあった。

「えっ……ちょ、ちょっと」

暴れようとする彼女をキスで封じ込める。息継ぎの暇も与えず、暴れる気力を底から奪っていく。

「君は可愛いよ。可愛くて可愛くて、いつもめちゃくちゃにしてやりたくなる」

唇をはずして手袋を外し投げ捨てる。頬を撫で、滲んだ涙を指先で拭ってやる。
素手で触れた彼女の頬は、冷たい風に当たっていたはずなのにとても熱くなっていた。

「だが、まだまだ足りない。他の奴らが寄ってこれないよう、もっともっと甘く溶けてくれ」

しゅるしゅるとエプロンの紐を解く。

「まっ、外でこんな……」
「わざわざ誰も、こんなとろまで来ないよ。君だって、知っているだろう」
こんな庭の隅に来る物好きなんて、君ぐらいのものだ。


耳元に口を寄せて囁く。ついでとばかりそのまま耳の縁を甘噛みすると、アリスの身体はおもしろいぐらいに跳ねた。

「で、でもそんなのわかんな………ひゃぁ!」

ボタンをはずし、露になった肌に舌を這わしていく。ときおり首筋、胸元に所有印を残す。
ここまでくるともう止められないことはアリスにもよく分かっているのだろう。 抵抗も形ばかりのものになっていき、もう一度私がキスをしたときには自分から腕を首に回してきた。


「たまには違う場所というのも、楽しいだろう?」
「………ばか」


そうして、辺りに漂う甘い香りよりもっともっと甘い空気が、
誰かが通りかかったとしても、近付くことができないほど甘ったるい空気が、私たちを包んでいくのを感じた。








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