素直になれない思いは花に乗せて





矛盾する気持ち 





その日も、いつもの様にブラッドの部屋で意味もなく2人で過ごしていた。

そう。時間なんてあってない世界ででも、いつもの、と言えるぐらいには飽きもせず何度も何度も繰り返されてきた出来事。別にいやらしいことをしていたわけではない。ベタベタと艶っぽいことなんて何一つないただの触れ合いをしていた。
もう結婚式からいくぶんか時間が経っているというのに、満足気にアリスの左の薬指に嵌った指輪に触れて撫でて口付けるものだから、アリスはモゾモゾして仕方がなかった。いつものことだけど、いつまで経っても慣れる気配がない。

ドロドロに溶けて自分がなくなってしまうような甘い触れ合いも当然恥かしくて仕方がないけれど、このじんわりと熱を伝え合うような触れ合いも恥ずかしい。飽きっぽく楽しいことにしか興味のない彼が飽きもせず、ただ触れる行為をしているなんて……。

深く考えると顔が赤くなってしまいそうで、アリスはそこで考えることをやめた。

窓から見える空の色が変わっても、名残惜しい、と張り付いて離れないブラッドをベッドから押しやる。
さっきまで抱き込まれていた身体が温もりを求め始める前に、アリスも同じくベッドから降りて、ふわふわのカーペットに足を下ろした。そのまま見送りをしようとしたアリスに、いつの間に手にしていたのか、ブラッドは小さく薄いものを差し出した。
反射的に受け取るアリス。

「これは、栞?」
「ああ。いつもの贈り物は快く受け取ってもらえないからな。少し趣向を変えてみたんだ」
「・・・・・気に入ってないわけじゃないのよ。ただ、高価すぎるんだもの」

少し棘のある言葉に目を伏せるアリス。アリスだって、贈り物を素直に喜んで受け取れないことを申し訳ないと思ってないわけじゃない。でも、ブラッドから贈られるものは相変わらず、高価な宝石やドレス類が多い。まるでアリスのために存在しているかのような、サイズも好みもアリスに合わせた素晴らしい贈り物だ。
しかし、どうしてもアリスは高価なものを送られたら、喜ぶより先に困惑してしまう。いくら彼のものと言われる立場になったからと言って、高級品で身を固めるのなんて元が庶民な自分には難しいのだ。

それに本音を言えば、何も足りないと感じるものがない。
今の生活に満足している………、なんてあれだけぐずって喚き散らしたあげくに今の立場に収まったアリスからは口が裂けても言えないが、不足している物はない。一番ほしいものを挙げろというなら、迷いなく夜の時間帯の睡眠時間と答えるだろう。
無理に贈り物なんかしなくてもいいのにという思いはあるが、何も贈らないのは男の矜持に関わるらしい。面倒なことだ。

「何だか意外だわ。あなたが薔薇以外の花を使うだなんて」

受け取ったのは、白い小さな花が咲きほこった綺麗な栞だった。使用されているのは、かすみ草。きっと押し花にして作られているのだろう。枯れることなく美しい姿のまま時間を止められた白い花。
ブラッドと言えば薔薇だから、こんな可愛らしい花で作られた栞なんて何だか意外だ。

「薔薇の方がいいなら、薔薇も用意するが・・・・・」
「いえ、いいのよ。この栞綺麗で気に入ったわ。ありがとう、大切に使う」

1目見てアリスは気に入った。これから読書するときはこの栞を使っていこうと思う程度には。
にっこり微笑んでお礼を言うと、満足そうにブラッドも微笑んだ。

「ふむ。ではお礼は、今度の夜にじっくりと・・・・・」
「エリオットが待ってるんでしょ、さっさと行きなさい変態」

この男はそういった方面に持っていかないと死ぬ病気何じゃないのか。笑顔から一転して呆れた表情に変わったアリスはブラッドを部屋から押しやりバタンと音を立ててドアを閉めた。
見送りのキスぐらいしてあげようかと思ったというのに、そんな気持ちもぶち壊しだ。
はぁ。とため息をつくが、貰った栞を見て機嫌が上昇するアリス。ブラッド自身の好みではなく、自分のことを思って作ってくれたのだろうか、だなんて思うと顔が熱くなってくる。

(よし、今日は広場で本を読もう)

このまま部屋に居たらきっと本に集中できないと思ったアリスは、何冊か本を見繕って時計塔付近の広場まで出かけることにした。


☆☆☆


広場のとある喫茶店のテラス席で本を開くアリス。この喫茶店はブラッドが認めるほど紅茶が美味しいお店なのだ。たまにアリスも読書しに来る、お気に入りのお店。
茶葉が練り込まれたクッキーと、この店1番人気のアールグレイを堪能しながら、アリスは広げた小説の世界に入り込んだ。

どれぐらい本を読んでいたのだろうか。物語が佳境に入ったところで突然視界に影ができ現実に連れ戻される。
何事かと驚いて顔を上げると、目の前に真っ赤な衣装と、逆光で見えにくいが、きっと今の天気のように晴れやかな笑顔を浮かべているであろう青年が立っていた。
言うまでもなくエースだ。

「もしかしてって思ったら、やっぱりアリスだ。こんなところで読書か?」
「もう、いきなり目の前に立たないでよ。ビックリするじゃない。」
「えー、俺声掛けたぜ。アリス、本に夢中で全然気が付かないんだから。あまりに反応ないから、そっくりな別人かと思っちゃったぜ」
「そうだったの。それは、ごめんなさい」

本に夢中になると周囲の音が消えてしまうのはアリスの悪いところだ。知らずのうちにエースを無視してしまってたかもしれない。
エースはアリスに「ほんとに君は読書が好きだよなー、俺には真似出来ないぜ。ははは」と笑いながら、断りなく空いていた隣の椅子に座った。

「あなたこんなところで油売ってていいの。時計塔はすぐそこよ」
「君のそういう、何も言わなくても俺の事分かってくれてるところ好きだぜ」
「馬鹿なこと言わないで。いつものあなたを知ってる人なら誰だって分かるわよ」

エースの軽口を受け流し、友人が来たからには読書は続けられないと読んでいたページにさっきもらった栞を挟もうとする。

「それはかすみ草?」

動体視力いいエースはちらっと目の端を掠めただけの栞をしっかりと見ていたようだ。

「そうみたい。さっきブラッドからもらったばっかりなの。薔薇じゃないなんて何だか変な感じがするわよね」
「ふうん。帽子屋さんが、ね」

エースにしては珍しく含みのある言い方。

「・・・知ってたけど、愛されてるみたいだねアリス」
「へ?どういう意味?」

かすみ草だと、愛されている?
全く意味が分からずアリスは首を傾げる。

「んー。ただでさえ君を取られちゃって面白くないから、教えない。気になるなら自分で調べるといいよ」

そう言ってエースはクッキーを1枚摘み口に放り込んだと思ったら、席を立ってしまう。

「それじゃあ、またな。クッキー美味しかったぜ」
「え、ちょっと待って。そこまで言うなら教えてよ。後、時計塔は反対側!目の前に見えてるでしょうー!」

アリスの引き止める声をもろともせず、エースは後ろ手に手を振って大股で歩き出してしまう。・・・・・・時計塔を背後にして。
いつもなら道を正してあげてるところだか、エースの言葉に戸惑ってるアリスはそのままエースを見送ってしまった。

(愛されてるって・・・)

エースの言葉に戸惑って、動揺している。
いや、愛されてないとは思っていない。怒鳴り合い罵りあいの末に行き着いた結婚で、憎まれ口もお互いに叩きあっているがそれは素直になれないだけで気持ちは疑っていない。・・・そんなには。
だからこそ、この栞がそんな意味を持つものだなんて思ってもいなかった。

慌てて残った紅茶とクッキーを消費し、アリスは店を後にした。向かった先は図書館。
意味深なことを言うだけ言って結局何も教えてくれなかった騎士様の代わりに、かすみ草の意味を調べるために。


☆☆☆


面倒な仕事をようやく片付けてブラッドは愛する新妻の待つ自身の部屋に戻ろうとしていた。
相変わらず怠くて面倒この上ない仕事で機嫌が直下降していたが、帰りを待つ存在がいるというだけで気持ちが向上するのだからいつの間にか自分も単純になったものだと苦笑する。
屋敷に戻ってきた時点でアリスが部屋にいることが分かっており、ブラッドはご機嫌である。

「ただいま」
「あ、おかえりなさい」

ソファに座り本を広げたアリスがこちらを見る。栞を挟んで傍らに本を置いたアリスがこちらに寄ってくる。そして、じっと服装を確認された。

「怪我はしてないわね」
「言っていただろう。今回は退屈な話し合いだと」
「そう言っていてもたまに撃ち合いになるじゃない」

拗ねたように言うアリス。
彼女は変わらず争いごとは嫌いなようだ。いつもいつもただの話し合いだけなど、退屈すぎてぶち壊したくなってしまうというのに。

「撃ち合いになったところでまとめて一掃するだけなのだから、ダラダラ無駄話を続けるよりよっぽど早く終わるぞ」
「そういう問題じゃないわよ。分かってて言ってるでしょう」
「ワガママな奥さんを持つと夫は大変だな」
「・・・・・・・・・」
「・・・?アリス?」

いつもなら、奥さんと呼ぶと憎まれ口の1つや2つは飛び出してくるというのに。黙ってしまったアリスに違和感が募る。

「何事もなかったのならいいわ。それで、話は変わるんだけど、今日綺麗なお花が売ってたから買ってきたの」

不自然な話題変更。それはアリスも気づいてるだろうに、こちらを見ずにソファーの前の机を指さす。
部屋に入った時にはアリスしか見ておらず気が付かなかったが、白い花が生けられた花瓶が置かれている。薔薇ではない、白い花。ブラッドがアリスに送った栞も薔薇ではない白い花だが、それとは違う大輪八重咲きの豪華な花だ。

「たまには薔薇以外のお花も綺麗でしょう?どうかしら」

彼女が花を買ってくるなんて初めての出来事だ。花を持って帰ってきたこと自体も前に1度あったっきりで、たしかハートの城で白薔薇を貰ってきたときぐらいだろう。ハートの城で白い薔薇なんてありえない代物をもらっていたから、ブラッドの記憶にも残っている。

「・・・これは、もしかして栞のお礼。だろうか?」
「え、えぇ。綺麗な栞だったから」

相変わらず視線が合わない。
栞を渡した時には気づく様子はなかったから、ちょっとした自己満足のようなものだったのだが。もし、その込められた意味に気づいたのだとしたら。
薔薇の知識は豊富にあるが、どんな花でも分かる訳では無い。だが、アリスに栞を贈ろうと決めた時にそういった関連で有名な花については調べていたから置かれている花が何であるかブラッドには分かった。

「白いアザレア」

ブラッドの呟きに、ビクンっとアリスは肩を跳ねさせる。

かすみ草は、英語でBaby's breath。愛しい人の吐息という名のついた花。
花言葉にも感謝、幸福、清い心、永遠の愛といった名前に似合ったものが多い。小さくも多数の花を咲かせ、花束に添えたとしても目立ち過ぎず周囲を引き立てる清らかな花だ。
この花言葉があると知った時に、ブラッドはこれしかないと感じた。

いつまで経っても彼女はこの世界に染まりきらず、特別な心を持った存在。自分のもとに残った感謝と、元の世界では得られない幸福と、誰にも負けないこの時計が止まるまで愛を捧げ続けるつもりでいる自分から彼女への贈り物にこれ以上のものはないだろう。
もちろんこんなことはらしくないため、ブラッドは言うつもりはない。尋ねられても知らないフリをするつもりであったし、純粋に彼女のよく使うものに自分のものを使って欲しいという気持ちが強かった。
知らずでも彼女が自分が送ったその花を大切に使っていると想像するだけで、ないはずのハートが温かくなるような気がしたのだ。

そして、彼女が持ってきたアザレアにも、薔薇ほど有名ではないが恋愛に関した花言葉がある。


『あなたに愛されて幸せ』


彼女が自分に愛の言葉を伝えることはほとんどない。いや、友愛の好きは言われたことがあるが、深い関係になってからは好意を示す言葉は1度もない。
そもそもアリスはブラッドが止めに行かなければ元の世界に帰るつもりだった。あの時帰らなかったのは、小瓶をあの狭間でなくして帰り道が分からなくなったから。あの狭間の出来事の後もブラッドに無理やり流されたと言っても過言ではないだろう。
逃げる体力を根こそぎ奪って、結婚式をあげて、ブラッドの妻という役割を与えた。アリスは責任感が強いから、この世界で立場を得てしまった以上もう元の世界には戻らないと思うが小瓶がない以上、彼女の元の世界への想いがこの世界を上回ったのか判断はつかない。

ブラッドだって直接言葉でアリスに愛を伝えたことなど数えるほどしかない。言葉より行動で愛を示しているつもりだからわざとではないが、積極的に愛を告げる方ではない。
一方、アリスと言えば受け身で流されるばかりで、言葉どころか行動も自分から動くことはほとんどない。1番積極的だったのは舞踏会のときぐらいだろう。
ようやく最近自分からキスをしてくれるようになったとはいえ、口を開けば憎まれ口が圧倒的に多い。

表情や態度から少なからず好意を持たれていることは分かるし、たとえ憎まれていようが手放す気などさらさらないが、もう少し素直になってくれないかと思う気持ちはある。
少しずつ自分に触れるようになっていくアリスの変化も楽しんでいるから、焦るつもりはなかったが。アリスの本心が、この花なのだとしたら……

アリスが素直になるのもそう遠い話ではないのかもしれない。

「アリス、こっちを向いてくれないか」
「・・・・・・」

肩に手を回しアリスをこちらに向かせる。最初は目が泳いでいたが、じっと見つめ続けると観念したかのように、ブラッドの方を見た。こちらを向いた顔の頬は赤く染まり、瞳も羞恥のせいか少し潤んでいる。

「いつかは直接言ってもらいたいが……、まぁいい。君からの贈り物は確かに受け取ったよ」

ゆっくり顔を近づけると、当然のように目を閉じて少し顔をあげるアリスが愛おしくて仕方ない。いつもの様な息を奪い取るような激しいものではなく、ゆっくりとお互いの熱を触れ合わせるキス。絡めあってアリスが苦しくなる前に離す。
それでも目尻に滲んた雫を指でぬぐい取った。

「君のことを愛しているよ」
「・・・っ!?」

頬に手を添えたままそうブラッドが告げると、アリスは落とさないか心配になるぐらい目を大きく開いた。口もポカンと開いている。とても驚いているようだ。
愛している、なんて言葉以外でいくらでも伝えてるつもりだから、口にしたのは初めてかもしれない、とアリスの反応を見てふと思う。
アリスが口を閉じたり開いたりを繰り返している様子を見てくすりと笑うと、アリスはますます顔を赤くした。・・・・・・今度は恥ずかしくてではなく、怒らせてしまったようだ。

「そうやって、人のこと馬鹿にして・・・」
「君を馬鹿にするためだけに人生の墓場に足を突っ込むわけがないだろう」
「・・・・・・」

ブラッドの反論に無言になるアリス。そんなアリスの反応を楽しんでいると、いきなり胸元を掴まれた。
どうしたのかと尋ねる前にぐっと引っ張られてアリスからキスをされる。
ブラッドが軽く口を開くと舌を入れ込み、拙くも絡めてくる。何度か触れ合った後にアリスはそっとブラッドから離れた。

「私だって・・・」

自分から深いキスをしたことが恥ずかしいのか、さっきよりも顔が赤くなっている。

「私だってあなたのこと・・・・・・嫌いじゃないわ」

もどかしい間を空けて、ようやく開いた唇からはそんな皮肉れた言葉。

「好き、とは言ってくれないのか」
「それは・・・・・・。もっとあなたからも言ってくれるのなら、いつかは返せるわ」

ツンとそっぽを向くアリス。
意地っ張りで素直になれない彼女から、こんな甘えた言葉が聴けるなんて。プレゼントしたときには思いもしなかった。

「そうか。では、これからは行動だけでなく言葉でも愛情を示してやろう。愛しているよ、私の愛しい愛しい奥さん」

抱きしめると腕の中で小さく震える存在が愛おしすぎて、頭がおかしくなりそうだ。この温かい存在をいつまでも守ってやりたいと思う。
抵抗することなくなされるがままのアリスが、とてもとても小さく「私もよ、愛しの旦那様」と囁いた声は、しっかりとブラッドの耳にも届いた。










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