どうしても求めてしまうの





どうしても求めてしまうの





―私の自己評価―

そこまで見劣りする顔だとは思っていない。自分を高く評価するのは嫌いだけど、私より顔立ちが良くない人がいることは認めている。
だからといって誰もが振り返るほど整った顔立ちというにはほど遠い。
言ってみれば平凡な顔。

身体のほうも、太っているとは思わない。でも細いのかと聞かれると首を捻るしかない。
細いと言うよりは、貧相だというのが一番正しい表現のような気がする。

……つまり結論としては、特別なところなんか何一つない、弱々しいただの小娘だということだ。


私はそんな感じだが、この世界の女性には本当に美人が多い。すらっとした長い足、引き締まったくびれ。大人っぽくて、女性の私から見てもほれぼれとしてしまうような人たちが たくさんいる。
顔は見えにくいけれど、ちゃんと見れば誰も彼もが整った顔立ちをしているのがよく分かる。

そんな美人が溢れかえった世界の住民のだというのに私なんかに手を出すなんて。自分で言うのもアレだが、思わず感性を疑ってしまう。

まぁ、見た目がいまいちだったとしても性格がいいのならまだ分かる。女性は外見よりも中身だと言う人もいるだろう。
でも私の場合、中身……性格となると外見以上に救いがない。
自分でも認める根暗で卑屈な性格。口も悪いし、思わず手や足が出てしまうこともある。装うだけならできなくはないが、本質は淑女とはほど遠い。
ピラピラしたロリータファッションをしているけれど中身は可愛らしさの欠片もなく、その上ちょっとしたことでもうじうじ考えこむ姿は端から見たらうっとうしくてたまらないだろう。

それなのに夜の時間帯になれば必ず部屋に呼ばれるし、仕事をしていればちょっかいをかけられてそれどころじゃなくなる。
しかも、この前のエリオットへの『私の女』発言のせいで、世間にも関係が知れ渡ってしまった。
有名なマフィアのボスのくせにこんな女とそういう関係だなんて。ただのお遊びだとしても趣味が悪いと思うのに、自分から広めるなんて狂気の沙汰だ。自分の価値を落としているようにしか思えない。

(こんなことになる前に戻れたらいいのに。いや、あの時流される前に戻れたら…)

一人の時はもちろんのこと、今回のようにブラッドと一緒に街を歩いたりしていると心の底からそう思う。
会合が始まったばかりの頃は、ブラッドとの外出はそれはもうとても楽しかった。あの頃は健全な上司と部下で、子供みたいな応酬も楽しかったし、マフィアのボスがこんな小娘一人に合わせてくれていることがなんだか嬉しかったのだ。
だけどその後手を出されたせいで、私たちの関係は大きく変わってしまった。あの心地いい距離にはもう二度と戻れないのだろう。

一緒に並んで歩いていると、彼に対して相変わらず熱い視線を送っている女性たちがたくさんいることが分かる。
ただ以前と大きく違うのは、隣を歩く私に射殺せそうなほど憎々しげな視線が突き刺さることだ。

『何であんな小娘が?』
『身の程をわきまえなさいよ』

ナイトメアのように直接声は聞こえなくとも、考えているだろうことは視線が大いに語っている。
読心能力などなくても明らかだ。

しかも………

『あれが、帽子屋の女……』
『かなりご執心されているみたいだなぁ』
『どんなてくだを………』

ヒソヒソと周りが話しているも聞こえてくる。あからさまに言っているわけではなくとも、時折言葉が耳に届いた。
はっきりと全部の声聞こえるわけではないが、興味津々といった様子なのは伝わってくる。

(私が誘うわけないでしょう。どちらかと言えば被害者なのに……)

振り返って思い切り言い返したい。
……だが、周りの声の通り今の私の立場を一言で表すとしたら“マフィアのボスの情婦”で間違いはないのだろう。情婦なんて言葉私に全く似合っていないと思うけど、立場を言葉で表すとそうなって しまう。
私たちはただれた関係でしかない。恋人なんて可愛いらしいものではなく、ただたんに身体の繋がりがあるだけ。


『君を愛しているわけではない』


分かりきっていたことのはずだった。女性経験が多いことなんて言うまでもなく、相手なら掃いて捨てるほどいることも知っていた。こんな余所者というだけで取り柄も何もない女なんて、何の価値もない。
いや、余所者ということだけが唯一の私の価値なのか。魅力的な女性だからではなく、中身や外見も関係なく、“余所者”の女であったから。だから興味を引いた。
『ただの気まぐれ』
『自分を他人と比べる君の反応が気に入らなかったから』
もし私に手を出した理由を問い詰めたとしても、返ってくる答えはどうせそんなところだろう。

そう理解していた。だからあの言葉を聞いたところで何度目か分からない『最低』を、心の中で言うぐらいで落ち込みはしなかった……と思う。
だけど今になって私はその言葉にダメージを受けていた。大きなおもりのように重くのしかかっている。

認めたくない。勘違いだと言いたいのに…
私は彼のことが“好き”、なのだ。

恋愛なんてしたくなかった。しかも別れた恋人と同じ顔だなんて、なんて自虐的なんだろう。
比べて、違いを見つけて、そして落ちてしまった…。
理性では分かっていた。こんな男に恋なんてしたら苦しむことにしかならないことを……。
以前の……顔だけはそっくりな優しいあの人との恋は、結果的にはつらいものとなったが、付き合っている間それはもう楽しかった。手を繋ぐだけで顔は熱くなり、触れ合うだ けのキスで心臓が飛び出しそうになったものだ。

でも、今回はまるで違う。初めてキスをされたときも違和感を感じただけだったし、それ以上されたときも身体は熱くなってもどこか冷静な自分がいた。
だから最初のうち、これは“恋”なんかじゃないと思っていた。
それなのに悔しいことに今ではブラッドの行動一つ一つに翻弄されてしまう。女性から贈られたプレゼントの山を見るだけで泣きそうになるし、触れてくる手の優しさに自然と胸が高鳴る。熱に浮かされたときに間近に迫る蒼の瞳が、自分だけしかみていないという幻想を抱いてしまいそうになって。そしてそんなバカな自分に幻滅してしまう。

本当に身体だけだったら楽だったのに。私だけが落ちて振り回されて……でも理性ではどうすることもできなくて……
こんな風になりたくなかった。
――だから“恋”なんてしたくなかったのに



「私と一緒にいるというのに考えごとかな?」

気付くと、ブラッドに無意識に合わせて歩いていた自分の足が止まっていた。
ブラッドが立ち止まったのだ。

「別になんでもないわ」

バシンッ
私に触れようと伸ばしてきた手を払い除ける。今は顔も見たくない。声も聴きたくない。

「はぁ。……そんな顔をして何もないわけがないだろう」

どんな顔をしているというのだろうか。ただなんであれ元凶はこの男にほかならない。
ブラッドは払い除けられたにもかかわらず、また手を伸ばして私の頬を撫でた。

「なんでもないって言ってるでしょ。ほっといてよ」

触れられたくなくて……それに涙目になっていることに気付かれたくなくて私は顔背ける。
一人で勝手に落ち込んで傷ついてなんて馬鹿らしい。理由なんて言えるわけもないし、あなたについて悩んでる、なんて言うぐらいなら舌を噛み切って死ぬ方がマシだ。

「中傷に傷ついているのか?だったら今からここにいる奴らを皆殺しにしてあげよう」

周りの声に落ち込んでいると勝手に勘違いしたようだ。剣呑な目付きで辺りを見渡したかと思うとブラッドは手に持ったステッキをマシンガンに変えようとする。
だが、ステッキの何度か見たことのある、変化する前の輝きを見たとき、私の頭のどこかでブチッと何かが切れた。

「……あなたが悪いのよ!」

右足を引いてブラッドと正面から向き合う。両手を無意識に握りこんで、睨みつけた。

「エリオットに余計なことは言うわ、私をつれ回したりするわ。そもそも私の悪評が出回っているのはみんなあなたのせいでしょう?!」
あなたが、……あなたが私なんかに手を出すのがいけないのよ!!

普段の私ならこんなことは絶対に言わない。それも街の真ん中で絶叫するなんて……
でも沸き上がった衝動を抑えることができなかった。
全部全部ブラッドのせいだ。私をこんなに悩ませるのも、苦しませるのも全て……

「何が皆殺しにしてやる、よ。こんなことになってるのはブラッドが余計なことを言ったりするからじゃない!」

私が人が死ぬのを見ることが嫌いなこと知っているはずなのに……
それに何もでまかせにこの人たちは噂話をしているわけではないのだ。噂話で関係が広まるようにしでかしたのはブラッド自身。
それなのに、私の反応のせいで意味なく殺されるなんて、そんなの耐えられるわけがない。

「あなたといるとろくなことにならないわ!」
……この前みたいに撃たれるかもしれないしね。




あっ……
全ての音が消え去った間。
言ってしまってから自分の言い放った言葉におののく。無意識に口元を両手で塞ぎ、一歩後ろによろけた。
失言だった。いくら頭にきていたからといってこれは言ってはいけなかったのに。

ブラッドは怒鳴る私を見て目を丸くしていたが、最後の吐き捨てるように言った私のセリフに顔を歪めた。
自分のせいで私が怪我をしたとブラッドが責任を感じていたこと、当然私は知っている。
私も撃たれたことなんて初めてのことで驚いたし、かなり痛かった。だけど、別にブラッドのせいだとは思っていない。とばっちりを受けたのは確かだが、元々私が弱いからそんな目に合ったことだし、この世界にいる以上そういうことが起きてもおかしくないと納得している。
むしろこれまでそういったことがなかったことの方が奇跡的なのだ。

それなのに。わかっていたのにそこを突くなんて、私って本当に嫌なやつだ。

「もう、ほっといて……」

(……嘘よ。)

心が痛い。いたたまれなくなって、私はその場から逃げだした。

(実際に無視なんてされたら耐えられない。)

周りにいた人たちは目を背けて、走りだした私の邪魔にならないように脇にどいたみたいだけど、そんなことはどうでもいい。ただただこの場から立ち去りたくて仕方なかった。
傷ついた顔のブラッドが目蓋に焼き付いて、離れない。
頬に熱い何かが流れるのを感じた。

(私はただ、ちゃんと私のことを考えて欲しかっただけなのよ)


☆☆☆


闇雲に走る。心臓が悲鳴を上げて息も苦しいのに走り続ける。走って走って、木にけつまづき派手に転んでやっと止まることができた。
いつの間にか時間帯は夜。走り続けたせいか心臓はバクバクと痛いほど激しく動き、口の中には血の味が広がる。服は砂で白く汚れて、すりむいた膝からは血が出ている。さらに運悪く手を着いた下に木の枝があったみたいで、手のひらをえぐってしまった。
全身痛い。でも、それよりも――身体なんかより心が痛い。

あんな街中で、あんなに人がいたのに、ブラッドにあんなこと言ってしまうなんて……

(酷いのは私の方ね……)

冷静になったら本当に最悪だ。ブラッドは私のことを見ていた。だから私の表情に気付いて心配してくれたのだろう。(慰め方は一番最悪な方法をとろうとしていたが)
勝手に傷ついて、八つ当たりして。 そんな自分に幻滅する。

それに何も考えずに走り続けたせいで現在地も分からない。誰もいない森の中、怪我をした小娘一人だなんて人はもちろん野性動物にでも襲われたらひとたまりもない。
今更になって怖くなる。なんて自分は愚かなのだろうか。

しかも……

『ドアを開けて』
『開けて』
『自分の行きたい場所に行けるよ』

ゾクリ、と鳥肌が立つ。
何よりも怖いのは目の前に広がるドア。慌てて目を閉じ両手で耳を塞いだけど、それでも自分に呼びかける声が止まらない。
まるで今まで走っていたのはここに辿り着くためだったと言わんばかりで。言いようのない恐怖に熱くて仕方がなかったはずの身体がすうっと冷えていく。

(嫌………怖い。誰か、来て)

『ドアを開けて』
『ドアを開けて』
『ドアを開けて』


『許されると思っているの?』


「姉……さん」
『あなたはどこに居ても誰かを傷つけずにはいられないのよ』

(姉さんはこんなこと言わないわ)

ドアへ誘おうとするたくさんの声の中、なつかしい声が混じる。陽だまりの中の人、こんな辛辣なことなど決して言わない優しい人の声。
これは本当の姉さんじゃない。おそらく私の心の声。私の中の深層心理。
あの優しい人に幻とはいえこんなこと言わせてしまっている自分に腹が立つし、幻だとしても心をえぐられそうだ。

『いつもそう。あなたは大切な人を傷つけることしかできないのよ』

(いつも……?いつもっていつのこと?
私は以前にも大切な人を傷つけたことがあった……?)

頭がガンガンと痛む。なぜ姉の声が聞こえるのか、呼ぶ声が聞こえるのか、そのことに対する違和感があやふやに溶けていく。

『あなたは許されない。いいえ、私が許さない。あなたは償わなくてはいけないのよ』

ツグナウ……

そうだ、私はいつも周りを傷つけてしまう。そんな私が、こんな私に優しい都合のいい世界で甘えているなんてオカシイ。
ふらふらと足がドアへ向かう。

(私はもっと別の世界へ……
誰も傷つけなくてすむ世界へ)

……………イカナクチャ

けがの痛みなど欠片も意識になかった。
一番近くにある赤い色のドアから目がそらせない。そのドアの前まで歩き、そのままドアノブへ手を………

キィィ
開けようとしたドアが突然消えた。不思議に思う前に突然目の前に何かが現れる。それが何なのか判別がつく前に、現れた何かに包まれた。
頭から顔を強く押さえつけられ息ができない。

(くっ、苦しい……)

だがその苦しみで、ぼんやりしていた意識がはっきりする。
さっきまで地面にへたり込んでドアの声におびえていたはずなのに、なぜこんな状態になっているのか。訳も分からずパニックになりかける。
そんな中硬いような柔らかいものに押しつぶされた私の鼻先を、馴染みのある香りが掠めた。

――薔薇と紅茶の香り

窒息しかける前に身体を離される。

「はぁ………はぁ」

荒く呼吸をする。酸欠で立ちくらみ、思わず目の前にあった黒い服にすがりついた。

「君は………一体何をしようしようとしていたんだ!?」
「ブ、ブラッド………………」

見上げると怖い顔をしたブラッドがいた。
そう、ドアは消えたのではなく、私がドアノブを掴む前に、ドアが反対側に開いたのだ。
そして、そのドアから出てきたブラッドに抱きとめられた。

(?…なんだか息があれている?というよりどうしてここへ…?)

そんな疑問の声をかける前に、有無を言わせない低くドスの聞いた声が降りかかる。

「もしかしたらと思っていたらやはり、………ドアを開けようとしたのか?」
「……………………」

あまりの威圧感にうつ向く。声だけでなく、冷気が目の前からあふれだしているかのように体感温度が下がる。
ブラッドは明らかに怒っていた。
そう、私はドアを開けようとした。だが、この凍えるような空気の中、それを言う勇気など私にはない。

「はぁ、………君は少しでも目を離すとすぐこれだ。さぁ、帰るぞ」

無言でうつむく私にしびれをきらしたのか、ため息まじりにブラッドはそう言った。だけど、

カエル………
(一体どこに?)

「私の帰る場所なんてないわ」
(だって私はここにいてはいけない)

掴んでいた服から手を離す。

「何馬鹿なことを言っているんだ。さぁ、早く来なさい」
「………いっっ!」

ブラッドから離れていこうとした手をバッとかなりの強さできつく掴まれた。怪我をしていた部分だったため、痛みに顔が引きつり声ももれる。

「………!!怪我をしているのか!?」

ブラッドは私が怪我をしていることに気付いていなかったようだ。私の大きな反応に慌てて手を離した。そして私の手首を掴み体を少し離して、白く汚れた服と手の平・膝の擦り傷を見ると、苦虫をつぶしたような顔をする。
だが、それも束の間、私をひょいっと抱き抱えて歩き出した。

「やっ、下ろして」

それはお姫様抱っことしか言えない抱え方で。羞恥心とブラッドと密着することの気まずさから私はバタバタと暴れるが、ブラッドの腕はビクともしない。
くるりと反転し、ブラッドは開いたままだった扉をくぐった。

「えっ…………………?」

驚きに抵抗することを忘れる。
目の前にブラッドが立っていたから、どこに繋がっているのかその時まで私は知らなかった。扉を抜けた先は、嫌な意味で馴染みの深いところ。
――――そこはクローバーの塔にあるドアだらけの部屋だった。

「な、なんで…………?」

ブラッドは私の言葉が聞こえていないかのように足を進める。
私が呆然としている間にブラッドはスタスタと歩いていく。そして当たり前のようにクローバーの塔でのブラッドの部屋にまで運ばれた。
ブラッドは片手で器用に私を支えドアを開け中に入る。そのままスタスタとベッド前まで来たかと思うと、私をその上に優しく座らせ離れていった。気まずい沈黙が続く。
そっと視線を向けると、私をベッドに置いて離れたブラッドはごそごそと部屋にある棚を漁っているようだった。
その様子を目の端でとらえつつ、私は物思いに更ける。というよりここまでの流れを理解しようといていた。展開が早すぎて何がどうなっているのか分からない。

(私ブラッドに酷いことを言い捨てて逃げたのよね。で、一人で森に走って行って迷子になったと。そこで………)

ブルッ

こけた後顔をあげたら、目の前に扉がずらっと並んでいたことを思い出し、恐怖で体が震える。
無意識に両手で体を包み込んだ。

(扉の声が聞こえてきて、そしたら姉さんが……)

姉さんに、いや姉さんの声が『お前はここにいるべきでない』と伝えてきたのだ。

自分がいったいどこにいればいいのかがわからない。今さら元の世界になんて戻れないし、このままここにいて何の意味があるのかもわからない。
自分がいていいと思える場所が思いつかないのだ。
このままだと、いずれ必ず自分はドアに導かれてしまう。自分の一番望む場所に連れて行ってくれるものだとは聞いたが、おそらく自分がドアを開けた先には絶望しか待っていない。そんな予感がある。

(だってわたしは償わなくてはいけないから)
何故だかわからないけど、そんな思いが私の中で確かにある。

無意識に腕を握りしめていたのだろうか、手の平の傷がひきつられる痛さで我に返る。目もいつの間にか閉じていたようだ。ふと前に気配を感じそっと閉じていた目を開くと、目の前には箱を持ったブラッドが立っていた。その顔には何の表情も浮かんでいない。
ブラッドはどこか見覚えのあるその箱を床に置き自身も片膝をつく。カチッという音を立て金具をはずし、ブラッドは箱を開けた。だよってくる消毒液の臭いに、やはりその箱が救急箱であることがわかる。

(この救急箱、あの時使ったまま部屋に残していたのね……)

状況がつかめていない私は最初そんなのんきなことを考えていた。だが改めて状況をみてみると、ブラッドが私に跪いているようにしか見えないわけで。

「あ、あなた、何をしているのよ!?」
「見ての通り消毒だ。君はじっとしていなさい」

消毒液を染み込ませた脱脂綿をピンセットでつまむと、ブラッドはちらりと私のスカートをめくりけがをしている膝を消毒し始めた。

「……っ!」

ピクリと身体がはねる。大した怪我ではないが、消毒液は擦り傷にジクジクとやはり染みた。
だが、所詮ただの擦り傷。しばらくするとその痛みにも慣れてくる。丸い脱脂綿が土とこびりついていた血に汚れていく様子をボーっと眺める。
ブラッドに手当をされているという状況に私は既視感に襲われていた。あの時は足ではなく腕で、傷の痛みも全く違っていたが……

「……ごめんなさい」
「何がだ??」
「街で酷いこと言ったり、今も手当してもらってて」

あの流れ弾に当たった事件の後もブラッドに手当してもらった。それはその場の応急処置だけということでなく、きちん消毒してと包帯を巻くところまでだ。
血まみれで転がったものを部下が連れていくのを横目で見てから、ブラッドはこの部屋まで私を連れてきた。その時もこうして私をベッドに座らし、ブラッドは自分の手で手当てを…。

正直別の人に任せてしまうと思っていたから少し驚いた。メイドさんかだれかに後を任せて行ってしまうものだと。
敵への報復よりも私を優先してくれた。そのことに私は嬉しいと感じたのだった。
でも、まだあの時のブラッドが他人ではなく自分で手当てをしてくれたのは理解できる。責任感とか、罪悪感とかあったのだろう。
だが今手当してもらってる傷は完全に私の自業自得のものだ。しかも私に勝手にプライドを傷つけた後。それなのにあの時のように丁寧に手当してもらっているのはどうなのだろうか。
今度はこちらが罪悪感で押しつぶされてしまいそうだ。

「私に手当されるのは嫌か??」
「べ、別に嫌というわけでは……」
「だったら、いい子だから大人しくしていなさい」

脱脂綿である程度汚れをふき取れたようで、軟膏を取り出して塗りだした。
その様子をまたボーっと眺めている私。
どちらも無言のまま傷の手当だけが進んでいく。傷口にガーゼを重ね固定するテープを伸ばす音がやけに大きく響き渡った。

「ほら、右手も怪我をしているだろう。出しなさい」

そう言って左手を差し出してくるブラッド。私はおずおずと右手を差し出した。
膝よりも少しひどい怪我をしている手の平。さきほどと同じくまず消毒液のつけた脱脂綿で傷口を清められていく。

「っ……、ねぇ、なんで来たの??」

私を迎えに、という言葉はあえて飛ばす。
声が震えている気がするのは、染みる傷口に耐えているからだ。

「言っただろう、私は君を手放さないと。君が私から逃げ出そうとも、私は絶対に逃がさない」

手も止めず顔も上げずに。

「そんなに余所者が大事??」
「………こんな少し目を離しただけで血を流して、ドアなんかに惑わされる。他に代わりがきかないそんなものをほったらかしにはできないな」
「そう……」

結局私は、珍しいモノ、でしかないのね。

じわりと瞳に涙が浮かびあがってしまう。……これも、傷口が染みたからだ。
そう思いこませる。

「君は私の、女だ。私がそう決めた宣言した。誰も、……君にもそれを邪魔立てすることは許さない」

手の平に包帯を巻き終えたブラッドは私を見上げた。
合ったその瞳には何か先ほどまでにはない強い光があるように感じるけれど、それが何に対するものなのか推し量ることなど私にはできない。

「君に拒否権など与えない。私に、そばにいることを望まれた。だからここにいればいいんだ」

後頭部に手を伸ばされたかと思うと、ブラッドの顔が間近に迫った。迫ってくるものに反射的に目を閉じると目元に唇を寄せられ、軽く浮かんでいた涙をなめとられる。
言われてる内容は無茶苦茶なはずなのに、声音が優しくて態度も優しくて混乱する。

何も考えず受け止めてしまえば楽なのかもしれない。でも……、
(今までどれだけの人に同じようなことを言ってきたの……??)

閉じた瞳の裏に映るのは、これまで見てきた高級そうな贈り物の数々。
上品な封筒に流れるような文字。自分より見た目も美しく、内面も気品のある人たちからだろうと推し量れるそんな品々。

(あんなに多くの女性を虜にしてきたあなたは、一体これまでどれだけ甘い戯言を紡いできたの?)

柄でもなくそんな風に責め立ててしまいそうな私の唇を優しく塞ぐあなたに、一人堕ちた私はなんて愚かなのだろうか。
唇を軽く舐められて、教え込まされたように私は口を少し開ける。当然のように入ってきた彼の舌は、予想通り私の舌を見つけて絡みつく。

(…………??)

だけど、身構えた激しさはない。
いつもの彼のキスは蹂躙する、息も気力も何もかも。いやらしく絡みついて、奥の奥まで伸ばされて、それでも足りないといわんばかりに求められる。
だが、軽く触れ合ったかと思うとすぐに引いていき、軽いリップ音を響かせてあっさり離れていった。

「なんだ……??これでは物足りなかったかな??」

あまりにも呆気にとられた顔をしていたのだろうか、にやにやと笑みを浮かべる男にかぁっと顔が赤くなる。

「ち、ちがっ」
「お望みとならば、答えるのはやぶさかではないが……」
「誰も何も言ってないわよ!!!」

私の顎を持ち上げようとする腕を振り払う。本人もいうほどそんな気はなかったようで、あっさり手は引っ込んでいった。
そして、その手は今度は私のブーツを脱がしにかかる。

「え、ちょっ…」
「ひねったりしていないか確かめるんだ」

私が止めに入る前に器用なブラッドは両足とも私のブーツを脱がしてしまう。ふくらはぎの付け根と土踏まずとを掴まれ足首をぐるぐると回される。
私はただこけただけで捻ったりはしていないので、足に触れられていることの方に気がとられてしまう。無表情を保とうとしているが、もしかしたら顔が赤くなっているかもしれない。

「ふむ。見えない怪我はしていないようだな」
「も、もういいでしょ。離して……」

両足一通り見たことでブラッドは満足したようだ。持ち上げられていた足を床に戻してくれる。
誰かに足を持ち上げられるだなんて慣れない。特にこの男にされるといろいろ思い出しそうで、無理。バタバタと子供のように暴れてしまいそうになる。
足の裏がふわふわの絨毯の床について男の手が離れて、ほっと一息をつく。

でもそのことに私が気を抜いた瞬間、ブラッドはぐっと屈んで私の膝下と肩に手をまわして抵抗する間もなく私をベッドに寝かせた。
何か不埒なことをされるのかと身構える私に、なぜかブラッドは掛け布団をかける。

「なに……??」
「今は少し眠りなさい」
「……え、えぇっ?」

こんなこと今までにあっただろうか……。いや、ない。眠るどころか驚きに目を大きく開いてしまう。
だいたい彼の部屋に連れてこられたときには、散々相手をさせられて乱されて力尽きて眠るというのが、最初に彼に抱かれたときからのパターンとなっている。唯一違ったのは前回のあの手当のとき。私の腕に包帯を巻いて、なだめるようなキスを何度か繰り返して、そして私の腕を憎々しげに一瞥してから無言で出て行った。
私の傷口を睨むブラッド瞳は、あの真っ赤になって連れていかれるヒトを睨むのと同じものだった。暗い光を帯び、凍り付くかのような冷気を含んでいてこれから何をしにいくのか想像に難くなかった。
あのあとは外に出ていく気になど間違ってもなれず、そのままブラッドの部屋にいるのも気まずくて自分の部屋にそそくさと帰ったのであった。傷の痛みやあの騒音と悲鳴を頭から消すために、集中できないまま本を開いて……

「っ!!」

シュルシュルと頭のリボンを解かれてはっとする。
ブラッドはいつの間にかベッドの淵に腰掛けていた。私の頭のリボンを解いて抜き去ったかと思うと、きれいに畳んでベッドの端に置いた。ぽかんとその手を目で追っていると、私の瞼をその手で覆う。

「今は何も考えるな。何も考えずに眠りなさい」
「え、待って……あっ」

意味が分からないわよ、と言葉を続ける前になぜか強烈な眠気が襲ってきた。通常ではありえない突然の引きずり込まれるような眠気。
それはブラッドの力なのか、もしかしたら何もかもお見通しでおせっかいなこの塔の主が干渉してきているのかもしれない。そのまま深い闇に飲み込まれそうになる。

(まだ何も聞けてない。どうして来たのか他のことも……)
夢も見ないような深い眠りに落とされたとしても、目が覚めたらきっとまた私は悩んでしまう。本当に自分がここにいてもいいのか。

だが、口を開こうとする前に意識が深いところに落ちてしまう。何か耳元でささやかれている気もするがその声は脳まで到達しない。
闇に飲み込まれるその瞬間に頭をよぎったのは、荒い息をするブラッドがクローバーの塔のドアの部屋から自分の前に現れたこと。
どうしても私には開けられないあのドアを走って開けにきてくれた。一番行きたい場所につなげてくれる不思議なドアを。つまりそれはあの瞬間、ブラッドが一番行きたいと願った場所が自分であったということの何よりの証拠。

(過去はどうであれ理由はどうであれ、今だけは誰よりも何よりも求められている。そう思ってもいいのかしら……)
愛情はなくとも執着されている。私だけを、と言ってくれる人がいるところにいたい。


私を求めてくれる人を、私は……


暖かい手のぬくもりと優しい声音に包まれて、今度こそ私の意識は完全に深い闇に落ちていった。









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