「大変大変、急がないと!!」
メイド服姿のアリスが走る。向かう先は調理場。 帽子屋屋敷では今から三時間帯後にハロウィンイベントがあるのだ。 もうすぐ行われるのは大きなパーティではなく屋敷の中で軽く仮装をしてお菓子をもらったりあげたりする小さなイベント。だが、うちの屋敷にはそういったイベントにがめつい双子たちや、お菓子をあげたらあげたこちらのほうが嬉しくなるような反応を返してくれる可愛いウサギさんや、それから…………隙を見せたらどうなるか分からないこの屋敷の主人がいる。早くお菓子を作ってしまわないとどうなるか分からない。 「本当ならもう2時間帯余裕があったはずだったのに」 アリスは憤りを隠しえない。それもこれも家主様が悪いのだ。 アリスはちゃんと余裕を持って行動する派だ。材料は前回の休みのうちにもう買ってしまっている。あとは仕事を終わらせてからお菓子作りを始めれば、余裕たっぷりに作り上げてワクワクした気持ちでハロウィンに挑めるはずだった。 ところが買い出しを終わらせ冷蔵庫などに食材をなおし、残った時間は自分の部屋でちょっと休もうかと思ったときに、ブラッドに捕まった。美味しい紅茶を仕入れたとかなんとか言って部屋に連れ込んだあと買いだして疲れた身体に追い打ちをかけるような目に遭わされ、そのままブラッドの部屋で眠ってしまったのだ。 当然のことながら仕事の時間は寝過ごしてしまっていた。自分の代わりに仲のいいメイドの一人が入ってくれていたそうで問題などは発生してはいなかったし、彼女にも「気になさらないでいいんですよぉ〜。色々お疲れだったのでしょう」とにっこり言われたのだが、もう申し訳ないやら気まずいやら(明らかに邪推されているようにしか思えなかった。間違ってはないが……)で。無理やりいってその後入ってた彼女の仕事に代わりに入ることにしたのだ。 結果予定していたお菓子作りの時間が2時間帯も遅くなってしまった。 「予定していたものを全部作るのは無理かもしれないわね……」 ようやく調理場に辿り着いたアリス。でも戦いはここからだ。 アリスの予定としては、配るようにクッキーとシフォンケーキを、後はこっそりプリンとかでも作ろうかと考えていた。でも今はとにかくメイド・使用人の分まで作り上げることが最優先だ。この屋敷にはたくさんの人がいる。役持ちだからお菓子をあげる、役なしだからあげないなんてことをアリスはしたくなかった。 それにいつも仲良くさせてもらっている人たちばかり。市販のものの方が自分が作ったものよりもおいしいかもしれないが、やはり手作りのものをあげたい。 とりあえず無難にクッキーを大量に作っていくことに決める。もとからプレーンだけではなくココアやニンジンや紅茶のクッキーも作ろうと思っていた。 生地の元さえ大量につくればその後いろんな味のクッキーを作ることができる。できたものからラップに包んで冷蔵庫で休ませていき、ひたすら作り続けていればきっと最初の生地がいい感じになるころにはそれなりの量ストックができているだろう。 まず冷蔵庫になおしていた大量の無塩バターを取り出す。これらをまず常温に戻しておく必要があるのだ。大量のボールを出してきて同じグラム数ごとにバターを入れていく。 「今がお昼なのがせめてもの救いかしら」 帽子屋屋敷の中は温度調節がちゃんときいているとはいえ、夜になったらやはりひんやりとする。お昼だから心もち部屋の中も暖かい(気がする)。急ぐ気持ちがある中では本当にちょっとしたことではあるが嬉しく感じる。 「さて、次は……粉ね」 アリスは部屋の隅に重ねて置いておいた薄力粉とペーキングパウダーを机の真ん中まで運んでくる。次はこれをふるいにかけていく。バターはそんなにすぐ常温にもどるわけではないので、待っている時間を有効活用するのだ。 また別の容器を持ってきて計量しながら粉をふるいにかけていく。先ほどのバターのボールと同じ数だけ分けたところでバターがわりといい感じになってきていた。 「さて次は何をしていけばいいのかしら……」 広げておいていたお菓子作りの本を覗き込む。この本はハートの城の領土まで買いにいったものだ。 帽子屋屋敷の本屋はもうお菓子作りの本は品切れになっていた。クローバーの塔の領地も行ってはみたが冬といえばバレンタインなのだからか、いいなと思う本はみんな売り切れで。ダメ元で行ったハートの城の本屋でようやくお菓子作りの本を購入したのだ。 「えっと次にいるのは砂糖と塩とバニラオイルかしら」 これらも調理場の隅に置かせてもらっていた。砂糖のグラムをはかり、塩とバニラオイルは少し加える。それらを計量しおえてからもう一度本を覗き込む。 「バターを手で練ってから砂糖とかを加えたらいいのね。よし。………ってあれ。あ、卵出してくるの忘れてたわ」 バターを手で捏ねて、砂糖とかを加えた後に卵を数回に分けて注がなければいけない。そしてその後にさっきふるいにかけた薄力粉とかをいれて混ぜ合わせ、ラップに包んで冷蔵庫で寝かせたら生地は完成となる。 (あと少しで一段落つくし頑張ろう) 集中していて気付かなかったがだいぶ時間は経ってしまっているように思う。ちらりと窓の外を覗えばまだ青空が見えている。 「あら、あの子たち……」 窓を覗いたときに丁度双子たち(子供)が外を走り回っているのが見えた。まだハロウィンまで時間があるというのに、もう仮装をしている。一瞬窓の外を走りぬけるのが見えただけだからよくわからなかったが何かを投げて遊んでいるようだった。 それを見て思い浮かんだのは秋になってすぐに廊下を柿まみれにされたこと。嫌な思い出だ。 (今回は外みたいだからそこまで害はないかしら。屋敷の壁に悪戯されたらアレだけど、屋敷の壁ならまだマシね。窓ガラスを割られたら困るけれど。) 「っていや、それよりも今はクッキーよ」 思わずふけってしまったが、クッキーの生地づくりを終わらせてしまわないと。 アリスは冷蔵庫まで急いでいき、ドアを開けた。 「…………え?」 思わず口からこぼれ出た声。予想外の光景にアリスは固まった。 自分の記憶では確かに置いた場所。だが、そこには何も物がなかった。 「ど、どうして。私ここにおいたわよね?」 もう一度記憶をたどってみるが、確かにここに置いた。 もしかして誰かが移動させたのかもしれない、と慌てて他の冷蔵庫も開けてみたが、色々な食材は入っていたが卵だけはどこにもなかった。 「なんで。……どうしてないのよ!!」 アリスは叫んだ。まさか卵がなくなるだなんて誰が予想できただろうか。 このままだと今までの努力が無駄になってしまう。悲しみより不条理さに怒りがわいてくる。 そのとき笑い声とグシャッっという音が外から聞こえてきた。 「今の音……まさか…………」 バッと窓の方向をみるとさっきまではなかった汚れが窓ガラスにつたって落ちていく様子が見えた。 慌ててかけより窓を開けて外を覗く。 アリスの目にはきゃいきゃいと笑いながら卵のパックを抱えて屋敷の方に卵を投げつけてる双子の姿が映った。 「あ、あんたたち、一体何をやっているのよ!!!!」 「え、お姉さん」 「お姉さんどうしたの?」 「どうしたの、じゃないわよ!!!」 アリスはブチ切れた。ぎゅっと掴んだ窓のさんがぬめっている。 まさか卵を投げつけて遊んでいるだなんて思いもしなかった。しかも自分の卵で……。 「どうしてそんなに怒っているのお姉さん??」 「僕たち一足早くハロウィンを楽しんでただけなんだよ」 双子たちは怒りの矛先がなぜ自分たちに向いているのか理解できていないらしい。おろおろと言い訳をしだす。 「私の卵を勝手に盗って壁に投げつけるのがハロウィンだってあなたたちは言うのかしら?」 これまで双子たちに叱ったことがないとはいえ、ここまでドスのきいた声音で話かけるのは初めてかもしれない。 でもそれぐらいアリスは切れていた。 「え、これお姉さんのだったの!?」 「ご、ごめんなさい」 二人ともそっくりに目を見開いたかと思うとシンクロとしか言えないタイミングで頭を下げた。 そんな双子の様子を見てアリスは少し冷静さを取り戻す。 「知らなかったんだ。屋敷のものだと思っていいかなって」 「僕たちお姉さんに意地悪しようとしてたわけじゃないからね」 うるうるとした瞳で申し訳なさそうにいわれたら自分も少しきつく言い過ぎたのではないかとアリスはほだされる。自分でも単純だと思うがさっきまでの激しい怒りが冷めていくのを感じた。 でも、やはり腹立たしい気持ちは残る。 「わざとじゃないということは分かったわ。でも、食べ物を粗末にするだなんて。悪い子は嫌いよ」 「「!?」」 双子は驚愕の表情を浮かべた。アリスとしてはそこで驚かれるほうが驚きだ。 「違うよお姉さん。これもハロウィンなんだよ!」 「ハロウィンでは生卵をぶつけるものなんだよ!」 「そんな話聞いたことな…………って、ちょっと待って」 頭の隅で引っかかるものがあった。 「あなたたち、それ相手がお菓子をくれなかったときのことでしょ!!」 ハロウィンでお菓子をもらえなければ生卵をそのくれなかった家にぶつけるという風習があったという話は聞いたことある。でも基本的にみんなお菓子をくれるし、くれなくても卵をぶつけるなんてほとんどない。ましてやむやみに投げていいはずがない。 「えー、そうだったの??」 「ハロウィンは卵をぶつけてもいい日だって聞いたのに……」 一体誰から聞いたんだとアリスが問い詰めようとしたとき、外が揺らいだ。 そして3人の目の前で外が夜に変わっていった。さきほどとは違う肌寒い風が吹き抜ける。 「嘘!時間帯が変わった!?」 ハロウィンまで残されたのはあと2時間帯。まだ生地もできていないというのに。 「何個残ってるのか知らないけど、とりあえず今残っている分、返してちょうだい、早く!!」 そういって慌てたアリスは開けた窓を乗り越えて庭に飛び込もうとした。だが…… 「「あ、危ない!!」」 「ひゃあっ!?」 足をかけた窓の淵にも卵がついていたのだった。踏み込もうとしたときに完全に滑った。 ダメだ、っと思ったときにはもう遅い。アリスの身体は大きくバランスを崩し、外に放り出される。 アリスは迫りくる地面に目を閉じることしかできなかった。 ☆☆☆ 「…………んん??」 アリスは自分が眠っていたことに気が付いた。 「……っつぅ」 ここがどこなのか確かめようと頭を動かしたらおでこの左上あたりに痛みが走った。 左手で恐る恐る触ってみると、少し膨れているのが感じられた。 「なんでこんなとこ…………って、あ!クッキー、卵!!!」 直前まで何をしていたのかアリスは思い出した。卵を持った双子と青から黒に変わった時間帯。 (そう、時間帯。……時間帯!?) 慌てて窓を求めて上体を起こす。すると自分が寝ていたところがブラッドのベッドであることに気付いた。 「今は夕方だよ、お転婆なお嬢さん?」 「…………ブラッド。なんでここにいるのよ」 「私の部屋なんだから、私がいて当然だろう」 夕方という言葉に気持ちが焦るのを押さえ、突然平然と話かけられた言葉にあきれた声で返す。 自分がいる場所に気付くと同時に彼の存在にも気づいたのでそこまで驚かなかった。ブラッドはベッドに腰掛けて座っていたのだ。 「質問を変えるわ。なんで私あなたの部屋で寝ているの」 「あぁ、それなら。門番たちどもが泣きそうな顔で君を私の部屋まで連れてきたからだよ」 大人の顔で涙目なんて、な。 (ディーとダムが大人の姿に変わって私をここまで運んだのね) 卵を投げつけてたときは子供姿だった。自分が気を失ったことは彼らに要因があるから素直に喜ぶ気にはなれないが、それでも嬉しいと感じる気持ちがある。 窓はカーテンがされておらず、真っ赤な秋の夕暮れが見えた。 「ちょっと聞かせてもらいたいんだけど、今の一つ前の時間帯ってなんだったのかしら?」 これで昼という答えが返ってきたら、と震える気持ちはあったがこれを聞いておかないと話にならない。 「一つ前?……一つ前なら残念ながら夜だよ」 そういってブラッドはアリスの頭に手を伸ばした。手袋は最初からしていなかったのだろうかはずされている。 触れるか触れないかという絶妙な力加減でアリスの患部に触れた。アリスは痛みを感じることはなかった。 ブラッドはアリスのけがの具合を確かめているようである。 「ということはあと一時間帯は残っているのね!………っていった」 ブラッドの言葉に勇んで立ち上がろうとしたアリスだったが、ブラッドが手をどけてくれなかった。必然的に患部を押し付ける形になってしまい、アリスはうめき声を上げる。 「ちょっと、手をどけてよ」 「あぁ、そうだな。ハロウィンまではあと一時間帯だ」 そういってアリスの頭から手を離した。これで調理室に戻れるとアリスはベッドからでようとする。だが、先ほどまで頭に触れていたその腕をブラッドはアリスの腰にまわしグイッと引き寄せた。 「君にとってハロウィンは特別なイベントか?」 バランスを崩してその広い胸に倒れかかったアリスにブラッドは囁く。密着したことで香ってくる薔薇と紅茶の香りにくらくらしそうになりながら、アリスは飲み込まれないように抗う。 「ええ、そうよ」 腰に巻き付いた腕を払い、そういいのける。下から上ににらみつけるようにブラッドの方を向くと、にやりとした笑みを浮かべていた。 「その言葉が聞けて安心したよ」 (え、私、間違えた!?) ブラッドの反応にアリスが自分の失敗を悟ると同時に、ブラッドの右腕があげられた。 パチンッ、カシャン ブラッドの指を鳴らす音に、針が重なるような音が混じる。慌ててアリスが窓の方へ目を向けると、鮮やかな赤であった空が、黒に埋めつくされていく様子がみえた。 「あぁぁぁぁ……」 絶望的な気分でその光景を眺めるアリスに、がっしりした腕が絡みつく。 今度はもう逃れられない。 「さぁ、アリス。君の楽しみにしていたハロウィンの時間帯になったぞ」 役持ちが時間帯を変えていいのは、特別な催し物のときのみ。アリスの一言が、時間帯を変える合図となってしまった。 アリスは首筋に温かい吐息を感じて震える。そういえば、今になって気が付いたのだがハロウィンの開催の時間帯は聞いていたが、終わる時間帯は聞いていない。 これから待ち受けるであろう長いハロウィンに恐怖なのか希望なのか判断はつかないが、この世界に唯一である彼女の鼓動は高らかに鳴り響く。 「それではお決まりのセリフを言わせてもらおうとするか」 ブラッドの唇が首筋を辿り、耳のふちに辿り着く。 「Trick or Treat?」 屋敷の主にとらえられた、哀れなメイド。 悪戯か施しか。その問いから逃れるためのお菓子は完成されることのないまま。 悪い魔法にかけられたかのように動けない彼女には、その両方が与えられるのであろう。 彼女の長い長いハロウィンはこれから始まる。 NOVELに戻る |